路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

藤守可江氏の絵に感動したこと

 里山歩きに最も心地良い季節は五月、その五月の晴朗とでも名づけたい絵があることを述べたい。

 2016年の町の文化祭、初めて藤守可江氏の水彩画を見た。渓流を描いた同工の二枚。この絵の写真はない。
 全体の色調は淡い青と緑、高さ七分どころ飛沫の白い拡がりがあって真っ先に目に飛び込む。上半分は傾斜ある流れ、突き出た岩の上に蕗が丸い葉を広げている。絵の下部は流れ緩く浅く、川底に人頭大の石を幾つか茶系統と影の紫色を混ぜて描かれる。ワイエスには水の透明な小川の底に堆積した落葉をその葉脈まで精緻に描いた作品があり、藤守氏もその水準まで描きたい誘惑にかられたのではないか、そんな感想を抱いた。石と石の間に少々描き尽せていないような間がある、水彩では困難だろう。透明な水の底を描いた絵にはホックニーのプール、小倉遊亀の浴槽があるけれど底はどちらもタイル模様で描写線は恣意的描け、自然物を描くワイエスやこの藤守氏の絵とは異なる。ただしホックニーのプールは水面に山影を描写し風景の立体感に寄与している。
 藤守氏の対象を見る目と運筆の精確さは川の両岸に繁茂する植物の描き方に現れている。イネ科、ユリ科、キク科、アブラナ科……シダの類まで図鑑に照らせば何科の何々と種名を特定できる描写であり、漫然と何かの葉っぱというのではない。茎の立ち方、葉の形と広げ方、そのどれも矛盾不自然がない。
 筆は気分が乗って力むと線の巾が広がる道具ゆえ子供の写生は中間や先端の太い茎などを書く。いや、子供に限らない。禅坊主は己れのみ悟り顔で「眼前矚目の景」や「我執の放下」を述べるも、禅画ときたらデッサンの狂いなどままよとばかり筆を伸ばし「どうだ、おれはこんな境地を知ってんだぜ」と言わんばかりの我執妄執表現をする。対象に専心し、オレはこう思うなどの自我表現を抜けた藤守氏に爪の垢を乞うがいい。ただし藤守氏の絵が宗教的という意味ではない。
 小さな笹の、その先端にある小さな枯色も描かれており、対岸には蔓植物の先端になる巻鬚の円弧が見える。サルトリイバラだろうか。
 この地に繁茂する蔓植物代表はクズとアレチウリ……絵を見ながら連想に入った……五月に入ると地面から筆の穂先を似た先端を擡げるのがクズ、三出葉が続く。ほぼひと月遅れてアレチウリの蔓が伸び始める。こちらの先端は糸状でコイルの形に巻くのもある。花は八月半ばクズが咲き始め、間をおかずアレチウリも咲きだす。クズの花は匂いが重い……ここから匂いの連想……花の匂いが重くなるのは梅雨時の栗からだろう。三月沈丁花は強くも軽い、それに先立つ梅の香はごく微少なものだ。横を通り過ぎるて(あっ、梅が咲いている)と振り返る。いや、こんな言い方では私が詩人のような感受性を有しているよう受け取られかねない。私は身体能力と感受性の全てにおいて鈍く小学生の頃はドンと渾名された。首領の意味ではなく愚鈍、魯鈍、鈍感、鈍臭いのドンである。まして春には花粉症ゆえマスクをしている。西洋の蘭は無香でも古代中国文化圏においてはまず春蘭の香が愛された。しかしマスクを外し何度も鼻を近づけたけれど春蘭の香を感じ取れない。さらにその名もニオイタチツボスミレ、その匂いすらわからない。それほどに鈍感でも五月になると川面を燕が飛ぶ対岸からニセアカシアの芳香はわかる、五月も半ばを過ぎると丘陵の繁みに強く香るのは野茨、これは山野の晴朗に資す。植物の繁茂が盛期から過剰へ移る梅雨の頃から栗の花のように匂いが重くなる。澱みに沈むような匂い。秋のクズからキンモクセイまで重さを増してゆく。その秋において菊の香だけは軽さがある。古来愛された理由はその対比かもしれない。
 文章にすれば長いけれどこの連想と映像が脳裏を過ぎたのは時間にして3秒ほどのことになる。そこで二枚の絵にはどこにも花が描かれていないのに気づいた。タンポポクサノオウの黄色い花ならそこらじゅうに咲いているし五月なら遠目にも目立つヒレアザミの濃紫もある。花弁は描かれていないが形が小さすぎるハコベやタデの類、あるいは葉の下に花をつけるアマドコロやナルコユリはあるだろうとわかる絵にはなっている。なぜ花弁を描かなかったか。それは見る者の視線が一点に向くのを避けたのではないかと解した。通りすがりの美人に男が、イケメンにおばちゃんが視線を向けて固定する、それを避けた。ゆえに初夏の自然、大気が明瞭な主題になる。私が絵を見ながら蔓植物や花の匂いに連想が向ったのも故なしとしない。
 片方の絵の上部には欅のような枝が横に伸び、葉の描写は太陽光が直接当る葉とその葉陰の葉、風に葉裏を返したものと風を受けない葉、そこまで不自然なく描かれてあり、自ずからなる諧調に陶然とする。絵の中に風は光り空気が流れている。細部を緻密にすることで全体を表現している。創造的創造力を藤守氏は持っている。

 どなたの言か忘れたが十代の頃「女性を最初に花に譬えた人は天才だが、次にそれをしたやつはバカだ」という言葉を聞くか読むかした。これは創造と模倣の別を述べている。竹の葉を描く独特な筆法を覚えたから竹林を描き、岸壁を表現する斧劈皴(ふへきしゅん)を覚えたから桂林を描く、それが模倣者のやり方。偏見を言えばカルチャーセンターに通う人の多くがこの性向を持つ。例えば絵手紙教室なら皆一様にたどたどしさを装った文字列と描画、その形式において女性を最初に花に譬えた人と同じ栄誉は武者小路実篤にある。ただし実篤は日常生活の誠実を意図しただけで模倣者を量産する様式化と商売化は後人による。それでも私は模倣者をバカ呼ばわりするつもりはない。私自身が誰よりバカのうえ世間には文芸の創造者が絵において模倣者の場合もある。書道家には先人の書を模写するのと自身の書を探求する二つの練習時間を持つ方もおいでという。私など書道展へ行っても楷書以外は読めず、名筆空海の書もどこが良いのか分らない。その程度の鑑賞眼しかない。落語『浜野矩随(はまののりゆき)』は模倣から創造への転換を副主題にしている。
 創造もしくは独創の手早い方法は現実にない物を描くこと。時計の文字盤が雑巾のように二つ折りで垂れていたり、褌姿の男たちが揉み合う形の人の顔、花や果物群を細密描写して作った顔面などは奇想の系統になる。昔のB級映画に殺し屋チャールズ・ブロンソンが画廊でボッシュの絵を見ながら次の殺人構想を練る場面があった。
 藤守氏は奇想の人ではなく模倣の人でもさらさらない。言葉事なら「風景画は自然の模倣」と言いうる、しかし氏は上に述べたような先人の類型を模すのではなく最初から自分の目と意識によって受け止めた草木を描いている。それは創作創造する人に共通する精神態度、その意識がなければここまで多種の草木を渾然と絵の中に描きえまい。
 また、絵描きなら当然の事として誰も言わないだろうが氏の運筆能力は高い。筋肉の制御ができている。大工さんはいとも簡単に釘を打つ。金槌は弧を描いて振り下ろされる。釘と金槌の触れる瞬間は二つの真芯が一直線になる。それが訓練で得た筋肉の制御。私が釘を打てばいとも簡単に指を打ち、鋸を挽いたなら板より先に息が切れる。


 2017年の県展ポスター

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 私がいつも新聞を見に行く中央公民館の掲示板に貼り出されていた。前年大賞作品が藤守氏のこの絵になる。
 水の透明な川底を描く。上記の渓流絵において描ききれていないと見えた川底表現がここでは主になり、表現の進化あるいは深化、探究心あっての進展と見える。
 秋に何度か出水あって新たな砂の堆積が両岸にある冬涸れの川、高さ七分どころにハイライトを置くのは上記の絵と同じ。上記の絵は傾斜ある流れだったがこちらは平坦地の流れ、また上記の絵は青と緑が主調だったがこちらは茶色が主調、上の絵で描いた植物相は無いも同じ密度で石や漂流物を描いている。水は冷たかろう乾いた大気、最遠景の山は安達太良、この川は隣町飯野の流れだろうか。水の流れ方向は石の配置と流木の寄り具合で画面下から上とわかる。石の間には流れてきたガマの穂やアジサイの枯れた花房などもある。
 川は絵の上部で緩く左に蛇行する。この遠近感はカメラによる単眼画像に見える。野球のテレビ中継に見るスタンド最前列カメラの映像に似て肉眼よりも遠い物がより遠くなっている。写真をもとに構図を決めたのかもしれない。ヒトの眼球は視点の遠近によって自律神経がレンズ厚を調節する。ワイエスの『クリスティーナの世界』では女性の姿、緩い勾配の草原、その先の家屋を肉眼距離で描く。

 この写真で絵の脇の黒地に画鋲を打ってあるのが見えるだろうか。この画鋲、貼り出された日は絵の中に打ってあった。細部を見るに邪魔だとて私が移動したものだ。ポスターを貼り出した職員はこの絵に何の関心もなかったとわかる。美術のみならず音楽工芸文芸、芸術科目の嗜好は個人的なこと。公民館の方にこのポスターを掲示期間が終ったら譲って欲しいと申し出たところ、翌日、もう一枚あったとのことでタダ貰いした。絵の部分を切り取り厚い本に十日挟んで折り目を伸ばし、百円ショップのA4額に入れ部屋に掛けた。仮に絵を買える泡銭が入ったところで絵の保存に適した住環境ではない私に分相応のところ。
 黒地の画鋲は数日後に外されていた。取り去った人は(この黒の良さがわからねえ奴もいるんだな)との思いかもしれない。並んだ他のポスターと比較すれば明瞭、この黒には緑の顔料が含まれ墨汁の黒より深く重い。美術展のポスターゆえ印刷にも銭をかけた。


 秋の文化祭が待ち遠しくてならなかった。しかしこの年の出品作は期待に反した。
 阿武隈川が前面にあり河川敷には楓などの樹木が数本、土手の向こうに福島市街があってまたその向うには低丘陵が見える。マンションのヴェランダ描写などに藤守氏らしい心地良い筆遣いはあるものの全体として密度が薄い。絵描きは一度得た密度を散漫にして満足できるものか。ことに背面にある山の描写は平筆による色の平塗りを重ねたものでそれが山稜及び谷としては不自然、さりとて樹林帯の表現にもなっていない。ペンキ屋さんの刷毛絵のような平塗りが悪いとは言わない。セザンヌはそれでサント・ヴィクトワールを描いた。この絵は昔の作品ではないかとの印象を抱いた。


 2018年夏、不快事が続いて心が鬱結しそうな日、気分転換に藤守氏のホームギャラリーを訪ねた。氏の名前を検索し個人ギャラリーを設けているのは以前から知っていた。西の山へ行った帰りに寄ろうと常々意識していたのに、白花タンポポの増減を見るとか買物があるとかで別の道を通る、あるいは山で飲んだ酒の酔いが回り非常に眠いだの、つまりはいつでも行けるという思いあるゆえいつまでも行かなかった。そこでこの日は山へ入る前に訪れた。
 ちょうど玄関に奥さんと息子さんがおいでになり、「絵を見せてください」と声を掛けたら受け入れ準備に慌しくさせてしまった。藤守氏は不在とのこと。個人ギャラリーゆえ入口に受付嬢が控えている形は想像していない。それでも何人か先客がいて私はそこへさりげなく入りさりげなく出てくるつもりでいた。私みたいな芸術など理解しそうにない馬鹿ヅラに加え山菜泥棒と同じ薄汚れた格好の男、「すみません、きょう、作品入替え作業で閉館なんです」とでも言って追い返す選択肢もあったろうに。
 私一人の為にわざわざ開けてくれたギャラリー、「俺は絵描きじゃありません、素人です、絵を買う金もありません」お二人に言い訳して、たった一人の贅沢な作品鑑賞になった。二部屋の最初の部屋には絵のほかにピアノやギターなど数種の楽器とテーブルとソファーが置かれ家族演奏会可能。次の部屋は完成作品のほか水平台に置かれた書きかけ風景画もあり藤守氏の仕事場でもあった。上記ポスター写真の絵に至る川底を描いた習作も何枚かある。冒頭に述べた渓流の絵はない。奥さんの話では福島の作品展に出しているかもしれないとのことだった。福島市街へは歩いて5時間、帰りはバスになる、そのバス代はない(「何言ってやがる、オメエは酒と煙草やめりゃいいだけよ」との声が聞こえる)。
 また、藤守氏は写真を見て描くこともあると奥さんの言。昨年の文化祭に出品した絵は昔の作品ではないかと尋ねたら近作とのこと。書きかけの絵は田園風景、藤守氏は今遠景描写を追究しているのかもしれない。
 良い作品があった。『一叢のすすき』。許可を得てカメラに収めた。窓が写り込んでいる。

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 秋の澄明な大気が満ちている。里山歩きに心地良いのは五月でも長い距離を歩くには秋が良い。渓流絵の草の緑は若やいだ緑、こちらは枯れる前の疲れた緑。

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 ススキの別名は頻浪草(しきなみぐさ)、その浪は穂の比喩と思い込んでいたがこの絵を見て葉の容態も加味したものと気づいた。藤守氏の筆遣いはこれで幾分かお分かりいただけよう。ただし叢の影の部分に青が強く発色しているのは低性能カメラとボンクラカメラマンの責任であって実際の色と異なる。青だけでなく色調の違いは全てにわたる。加えて画素数を極度に落とした写真、どうか作品は氏のホームページやブログで見ていただきたい。検索すれば一人名なのですぐにサイトが出る。


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 道の描写。写真ではわかりにくいが砂礫まで描いている。軽トラが通るだろう車輪幅と中央との色調書き分けには水彩画の粋がある。陶然とした。実物を見ていただきたい。

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 栗の葉は枯れ破れ始めている。この葉とススキの穂先との間に遠景として霞んだように淡く家並が描かれているけれど写らなかった。実際は盆地町川俣が明瞭に見える。そう、私はこの景を知っている。道の表層は異なるも花塚山中腹を通る林道からの景になる。町との標高差は二百メートルほどになろうか、家並を明瞭に描けばこの丘陵地と大気が繋がってしまう。それを避けるため淡く霞ませたかもしれない。さらに絵の中央上部、最遠景に薄い白で稜線を描いた山は吾妻。
 そして冒頭に述べた渓流絵同様、この作品も花が一つも描かれていない。幾種もの野菊はそこらじゅうにあるものを。
 「おいおい、寝言は寝て言え。ススキの花がたっぷりある」と言われそうだ。その通り。「花芒」は秋の季語、しかし日常会話で「ススキの花が風に揺れる」とは言わない。「ススキの穂が風に揺れる」なら言う。と、苦しく弁解しておく。
 この絵も草木を緻密に描写してなをその主題は大気になっている。
 ただ一つ惜しいのは左上、中景にあたる丘陵描写、植林の杉と広葉樹の斑であるのは分るものの筆法が少し雑に見える。

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 藤守氏自身、中景の描写を迷っているのかもしれない。
 それを差し引いてなおこの絵は世界に通用する水準にある(別に私は何の権威でもないが言うのは勝手なはず)。陸上競技選手がオリンピックに出場したければ標準記録を突破しなければならない。同様に意味合いでこの絵は技術、美質、普遍性において標準を越えている。あとは見る人個人の好むか好まざるかの評価だけになる。

 秋の文化祭に氏はこの絵を出品してくれて、また開催三日間、心地良い気分を繰り返した。


 2019年、正月に『一叢のすすき』をプリントした年賀状が届いた。ギャラリーを訪問した折に住所と名前を記入してきたおかげか。家庭用プリンターによる印刷で色調は一段劣り、画像サイズが落ちたことで消えた部分もあるけれど私にはお宝、百円ショップの葉書用額に入れ今も箪笥の上にある。これまた分相応。

 この年秋の文化祭出品作が次の絵になる。これも会場の方に断りを言って撮影した。周囲のガラスが写り込んでいるのや色調の不再現は上と同じ。

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 同工の作品になる、ただしこの絵の場合ススキの影が平行でよいものをハの字に開きすぎた。しかも目立つ場所にある。風によってススキの並びが分かれたと見る納得の仕方もある。しかし私は心の狭い男で、光源たる太陽と地球の距離は1億5千万キロ、いかに遠近法といえこの部分は楽しめない。よってほかの部分も楽しめなくなった。ワイエスホルスタイン種の牛を真横から描いた作品があり前肢と後肢が平行垂直に立つ。しかし見ているうちに牛の背を底辺とし脚の垂線の先に地球の核がある二等辺三角形が脳裏に浮かんだ。地球の半径は六千三百キロ、平行に見える牛の脚が微妙に下窄まりなのか臀部や頭部が加味されての印象か、これは二十代の頃竹橋の近代美術館で見たワイエス展の記憶。

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 この描写力が藤守氏の骨頂であるけれど、どことなく自己模倣の手慣れ感も覚える。この作品の複製があっても部屋に掛けることはしない。

 ついでに言えば中央公民館ロビー正面にこの町在住画家の作品が掛けてある。根から1メートル余りのところで折れた杉の木の前に裸婦を重ねる。裸婦はあぐら座りして肩幅もあり健康そうな骨格ながら首がなく皮膚は死人の灰白色、膝の前には藤蔓の絡まる折れた杉の上部が横たわる。その杉の折れ口描写は漫画同様の省略した描き方。頭のない人体と藤蔓によって折れた杉の意味合いは、因習に絡めとられ健全な肉体も健全な精神の発露を持たず朽ち折れてゆく地方在住女性の悲劇とでもなろうか。現代詩などによく見る半端思考の思わせぶりと勿体づけの作品にしか見えない。理解できないのはお前の頭が悪いから言われそうだ。確かに私は芸術家の皆さんがお持ちらしい鋭敏な感覚、繊細な感受性の持ち合わせはない。それでも好き嫌いはある。できるだけこの絵は目に入れないようしているのだが正面なので時々目に入る。そのつど、厭だなと目を逸らしている。(世間の女性は私の姿が視界に入るとまるで汚物でも見てしまったかのように「ヤダわ」と顔をそむける)。

 またついでに思い出した。2018年、東大の食堂を運営している生協は食堂改装の折、壁面を飾っていた宇佐美圭司氏の作品を廃棄したと新聞で読んだ。3メートル以上の大作らしい。宇佐美氏の作品は荒川修作氏と同軌の意匠美術家で私の好みではないが世界に通用する水準ではある。それを廃棄したのは見飽きたからではないか。いかな美人といえど三日見続けたら飽きる、らしい。そこで美人のほうでは時にすっぴんを曝し相手をギョッとさせ心情のマンネリを防ぐ、らしい。私の知人に美人はいない、これは伝聞による。翻って今、この文章を書いている私の視界に藤守氏の冬涸れ川とススキの絵二枚が入っており、毎日目にしていながらまだ飽きていない。手作業をする際に流すバッハの無伴奏ヴァイオリンと似ている。考え事の妨げにならず、喜怒哀楽どれか一つの情緒を強制されもしない。それも十八の年に初めて聞いたと同じシェリングの演奏、以前は三枚組レコード今は二枚組CD、数十年も同じ演奏を聞いている(たんなる老人性痴呆の可能性もある)。


 藤守氏の作品の流れを見るに、近景の植物相を描き、水流を描き、水底を描き、近景から遠景へ渡る景を描いた。さて次は人物を配した風景ではないかと勝手に想像する。『クリスティーナの世界』のように個人と風景になるか、水墨画伝統の寸馬豆人、景の中の生活者たちになるか、人物の介在する風景は氏の意匠の延長上にあるだろう。今年も文化祭にどんな作品を提示してくれるか、この数年、それが私の唯一の楽しみだ。もちろん絵を見たければギャラリーまで歩いて一時間ちょっと、いつでも行ける。しかし今それは鬱を散らす特効薬としてとってある。


 以下、絵とは関係ない余談。
 私は藤守氏の絵のファンであるけれど題名のファンではない。歌手島倉千代子のファンだけれど彼女が浜口庫之助の曲を歌っている時間はファンでなくなる。たんなる好き嫌いの話。「詩」に「うた」、あるいは「時刻」に「とき」とルビを振る表記は殊更めいた感がして私は使わない。若い頃『ある愛の詩(うた)』なる映画と小説がヒットした。私に無縁の美男美女恋愛話、その妬心、やっかみが今も続いているのかもしれない。その頃のアメリカ映画ときたら画面に男女が向かい合えば必ずキスをする、男二人が向かい合えば殴るか発砲する。思い出して欲しい、背に瘤があり顔面は引き攣れ猿のように歯茎の出たアンソニー・クインジーナ・ロロブリジータに惚れたとて何としよう、鐘楼の綱にぶら下がり宙を左右に揺曳しながら鐘を鳴らすしか心の遣り場は無い。無学でがさつな俥曳き三船敏郎が大尉未亡人高峰秀子に恋慕したとて何としよう、付け元気が本元気になるまで太鼓を叩くしかないではないか。恋愛劇とはこれを言う。完全にやっかみで言う。美男美女が「愛してる」「うふん」てな映画は鼻クソ、恋人に死なれ悲しいとて顔と頭が良く金もある男ならすぐ次の女ができる。模倣者水準の連中だけが相手のお伽噺だ。いやこんな話をするつもりはなかった、『ある愛の詩』からの飛び火。知る限り「詩」に「うた」とルビを振った一番古い例は小山内薫の小説『病友』(明治40年)になる。

 藤守氏の絵を最初に見た日の喜びは今も覚えている。加えてこの町に創作者が居るそのことをも喜びに感じていた。以前何かの記事で述べたように偏屈な私はこの町、この福島県の一般的な人間性を嫌っている。偉そうにする人間と見栄を張る人間の多さはどうだ。鳥なき里の蝙蝠、無能な者が優秀な人間であるかのように思い込み得意気な表情を浮かべているのは見るに堪えない。いかなる根拠もないヤマ勘数値を言えば、人口比において0.01%、一万人に一人以上の創作創造者を持たない地方自治体は衰微する。川俣町の人口は現在約一万三千、その中に創造者が一人居たとの認識は喜びになる。
 ただし氏のブログによると1955年生まれ、今はジジイの域に入っておいでか。もっと若くあって欲しかったと言えば無い物ねだり、北斎は九十においても創作力を持続した。ちなみに私は1949年生まれ、すでにクソジジイの名をほしいままにしている。
 氏と面識はない。この一文は多くの誤解と憶測が含まれている。絵は是非とも実物を見ていただきたい。

 

(7月9日 追記)

 人物を配した絵はあった、「オオイヌタデと白むとき」。

 朝靄の湖水(ダム湖かもしれない)に小舟二艘、釣師をシルエットの形で描く。