路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

『小手風土記』を現代仮名遣いにする13青木村

 13、青木村
一、男出神大明神 小手十九社
 鳥居額惣鎮守 小手神大明神[玄石書]階八十五枚
 雷神風神門碑銘 奉寄進階建立延享三[丙寅]天八月朔日
 手水石 拝殿 本社
 末社疱瘡神[祭所 稲背脛命(いなせはぎのみこと)]例祭八月朔日より三日迄
  一社両神主 斎藤左京 斎藤蔵之助
一、青木峠 小手五岳の一つなり、この山を男出神(おでがみ)と云い糠田なる山を女神と云う。筑波山の男体女体をうつして陰陽の山なりと云う。(*1)
 それ当山は松樹蓊鬱(おううつ)として常に白雲横たわりて路を封ず。山頭巍々として旭の出る事遅し。冷泉滾々と玉を注ぐが如く嶺に麓山(はやま)大権現宮あり。宝珠の紋ある石有り稀に拾う。御立林なり。(*2)
一、長千三百廿間 横百七十間 反別百十八町八反歩 御立林守 孫左衛門 孫右衛門
 半散る花の梢を眺むれば青木の山の雪のむらぎへ よみ人しらず
一、東栄寺(註1)法花宗 冥加山と号す
一、稲荷大明神 岩窟に立たせ給うなり
一、小手十六番札所観音堂[七尺四面]字竹の内
 万代のその名は青木竹の内いつくもおなじ冬の白たへ(*3)
一、地蔵堂[九尺四面]同所(*4)
 鍛冶屋[早稲田] 平 七ツ久保 水門 下中 中下(*5)
一、釈迦堂[一間四面] 地主藤兵衛
 餅石(モチいし) 目栗田 百目木(どうめき)
一、小手地蔵詣十一番地蔵堂[荒井] 地主作右衛門
 広面(ひろおもて) 荒屋敷 箱屋
 大石あり稲荷の御室なりと云う。石上に松樹生(おい)茂りて絵にかけるごとし。
 後ろ面 矢代内[弥二郎内とも] 馬場
一、登木戸舘
一、薬師堂[九尺四面] 地主 須田貞右衛門
一、六道 六の街(わかれみち)あり 甲森
一、内山御林[長四百三十間 横二百六十間] 反別三十七町二反六畝廿歩 御林守 市左衛門
一、竹林山妙泉寺(註2)法花宗
一、三十三番神
 瘤木(コブキ) 芝切田(鍔切田とも) 北ヶ作 東前(*6)
一、村高 千四百八十二石七升一合(註3)九十四石一斗九升九合五勺(朱筆)
 反別 百六十四町八反十八歩
一、東西二十六町三十間 南北十二町四十間
一、六十三騎 百五十石白根将監 百五十石斎藤丹後 百五十石阿曽内蔵之助
 百五十石斎藤縫殿之丞 百五十石阿曽平次郎
一、古諺に、峠の山に緑き亀住めり、よりて緑亀(アオキ)と云々。
一、土人この村に大きなる檍木あり是によって村名に青木と呼びたると云う。今荒井という処なりとぞ。(*7)
一、筑前国に青木という同名有り(註4)

註1一統「一円寺末山」
註2一統「一円寺末山」
註3後年朱にて「九拾四石…以下の文字を訂正書加えた。
註4一統「吉寿院 修験者 大久保貴見院配下」とあり、本書に記されていない修験者がいた。
 
*1「青木峠」を一統は「青木峯」。現在の千貫森。
*2「それ当山は…旭の出る事遅し」は『都図会』「上醍醐」の項から引き写し。
*3「いつくも」は「いずこも」の意味、一統は「何国」と誤記、「何処」の誤読か。
*4「同所」を活字本は「同断」と誤記。
*5地名の「水門」は誤り、活字本の「水内(みずうち)」が正。
*6「瘤木」の現在地名は「小武木」。
*7「檍木」を一統は「樟」とする。檍の和訓は「阿波岐(あはき)」、それが「あおき」に転じた可能性もある。和名抄は柞の属とし字義では橿(かし)とも通じて「橿、一名檍、万年木」。