路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

アブラススキ、イボクサ、チカラシバ

 アブラススキ。
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 イボクサ。
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 田の草、淡い紅色はゆかしく清しい、なのにがさつなイボの名、昔はこの草をつけて疣を取ったとか。ツユクサの仲間、茎の立ち様は同じ。


 チカラシバ
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イメージ 7 引き抜くに力要するチカラシバ。見るからに荒々しくふてぶてしい。江戸時代、街道に網を張った雲助の風情。


イメージ 8 柔らかい風情はエノコログサ。別名ネコジャラシ。図鑑によるとこれにも数種あって現在調べ中。


 ヒヨドリジョウゴヤマホロシは実をつけ始めた。
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イメージ 11 5枚花弁のセンニンソウと思っていたが、そもそも白いのはガクと知り愕然。

イメージ 12 ボタンヅルの実。


 疣から連想の余談。かって黒岩涙香がフランスの小説を翻訳した際、意地悪娘の名イポリットを疣子と訳した。名訳。昭和の浅草オペラではイタリア女性の名ベアトリーチェ榎本健一がベアトリ姐ちゃんと歌う。これも見事。どなたか知らないがbaby buggyを乳母車と訳した方も素晴しい。較べて哲学分野の翻訳は伝統的に惨憺たるもの、「合目的的」など『広辞苑』にも載るが日本語ではあるまい。「所記」や「能記」もまた同断。おそらく数多くの英才が思考以前の語彙と語法の煩わしさに哲学を避けた。
 ついでに偏屈な経験則を言えば、およそ二十才を過ぎても己を頭が良いと思っている人間にロクなのが居ない。