路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

『小手風土記』を現代仮名遣いにする12立子山村

12、立子山村(註1)一、八幡宮 八八幡とて八所あり 神社考に云う。清和天皇御宇、貞観元年八月、大安寺沙門行教奏問して豊前国宇佐より山城国男山に勧請す。応仁(おうじん)天皇是なり。その後諸国に遷座し奉るなり。(註2)(*1)一、八釈迦 八所に…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする11飯野村

11、飯野村一、大宮大明神 小手十九社 石の鳥居 石燈籠二基 天明元[辛丑]八月九日と銘有り一、観音寺[武州江戸上野末寺天台宗 不納八畝六歩]八龍山と号す一、小手地蔵詣十三番地蔵堂(註1)観音堂境内の内一、地蔵 西飯野南 地主天明院 古碑(註2)建武…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする10大久保駅

10、大久保駅(註1)一、住吉大明神 石の鳥居石垣階九枚 松杉数株有り、大石有り。 祭所 上箇男命 中箇男命 底箇男命(*1) 三神筑前国那珂郡に鎮座し神皇后宮三韓を攻め給えし時に出現ましまして、皇軍御船を守護し速やかに韓国平らげ、その後神託によ…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする9西五十沢村

9、西五十沢村(にしいさざむら)(註1)一、麓山(はやま)大権現 硯山に一、木村山林正寺 [字]山田 浄土真宗(*1) 開基は上杉景勝の家中、木村隼人という人開基なり。よって木村を山号とせり。 十一月廿二日より廿八日迄親鸞上人の忌日法会、世諺にお…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする8東五十沢村

8、東五十沢村(ひがしいさざむら)(註1)一、小手十九社正一位熊野三所宮 延喜式に云う。紀伊国牟婁郡(むろぐん)熊野早玉神社と之に依り以て速玉男(はやたまお)事解男(ことさかお)伊弉冉(いざなみ)の三神、熊野三所権現となす云々。(*1) 当…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする7大綱木村

7、大綱木村(註1)一、口太山(くちぶとやま) 小手五岳の第一なり。 この山、安達郡伊達郡の境なり。峯尖(せん)にして斫(き)りなせるが如し。登れば道嶮しく積雪(シャクセツ)長(トコシ)なえにして山颪(ヤマオロシ)肌(ハダヘ)を徹(トヲ)す…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする6小綱木村

6、小綱木村(註1)一、小手庄十九社 正一位御霊宮 五間四面 神主斎藤大隅守 鎌倉権五郎景正の霊を祭ると云い伝えたり。祭礼八月朔日 元文二[丁己]年正一位神階(*1) 鳥居階十三旦 手水石銘[宝暦五己寅三月十四日斎藤大隅守藤原信之] 石燈籠二基 地主 …

『小手風土記』を現代仮名遣いにする5町小綱木村

5、町小綱木村一、稲荷大明神 祭所 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)衣食祖神 往昔、桜田玄蕃御影館牛ヶ城を築きて城東にこの神を勧請し深く敬い信仰ありしとなり。今の地に安永年中遷座し奉る。(註1) 神主矢田部土佐守 地主氏家又治郎一、御影館(みか…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする4松沢村

4、松沢村一、小手十九社 甲(かぶと)大明神 そもそも当社、甲大明神は祭所源太義平朝臣の神霊なり。往昔、山上に神霊影向(ようごう)ならせ給う。我宮城として長く国民を安全に守らんと託宣ありしより義平山と言う。 その地に一夜に椋の木生ぜり。よって…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする3鶴田村

3、鶴田村 小手四郷の一つなり。往古蔓田と云いしを八幡太郎義家公鶴を放ち給う地なるによって鶴田と改むと云い伝えたり。また飯坂村の分郷なりと云々。一、伊豆大権現[不納四畝廿四歩] 神主 三浦日向守 鳥居長床階八十四旦。この社、勧請いつの頃というこ…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする2在飯坂

2、在飯坂村一、華塚山(はなづかやま) 小手五岳の一つなり それ当山は伊達の高山にして南は口太(くちぶと)木幡(こわた)の嶺高く聳え、西は安達太良信夫の山々、北は苅田嶽伊達大木戸国見山阿武隈の流れ、蒼天には東海の海原金華山も只この嶺より一眼…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする1町飯坂(下)

一、岩清水 この水、信達両郡に稀なる清水という。 李白の諺に石甃蒼苔に冷たし寒泉月明を湛うとはこれらの清泉を言うなるべし。(*54) 続古 松もおひ又も苔むす石清水行末遠くつかへまつらん 貫之 新拾 神垣や影ものとかに(註10)石清水すまん千とせ…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする1町飯坂(中)

一、峯能観世音 小手第一番札所 [大慈山根元山と号す、また三根とも古水帳にあり] 禅衣石(ヲイスルイシ) 地主 根元 黒江治郎右衛門(*29) 往古、秦の峯能(ミネノブ)と言いし人、持ち伝えたる御長さ一寸八分の千手眼観世音菩薩なり。(*30) 縁日…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする1町飯坂(上)

1、町飯坂 陸奥国伊達郡小手庄風土記川俣郷(註1)一、小手庄二十六郷の惣社、正一位春日四社は人王五十四代仁明天皇御宇、山蔭中納言藤原政朝(マサトモ)卿、霊夢により岩瀬郡(イワセノコホリ)鉾衝宮(ホコツキノミヤ)に通夜したまい、施山(モミジヤ…

『小手風土記』を現代仮名遣いにする・前置き

天明八(1788)年川俣在住の三浦甚十郎義陳が『小手風土記』を書いた。小手郷二十六村の地誌であり幾つかの村では地元の人と共著になる。江戸時代に各地の学者や文人が著わした他の地誌と比べたら文章は下手なほうに属する。三浦氏は真丹の号を持つ俳人であ…