路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

『小手風土記』を現代仮名遣いにする25下手渡村

 25、下手渡村(しもてどむら)(註1)
一、熊野宮[不納六畝廿五歩] 菅野助太夫
 鳥居階 松数株あり
 祭所 伊弉並尊 事解男神 速玉男神
一、亀居館(註2)上杉家臣 手渡周防の居城なり(大内周防と云いし者か)。
 漆久保 上代 寺久保(*1)
一、小手廿八番札所観音堂[七尺四面] 聖観世音菩薩
 上代観音堂旧地、ゆえありて大破す。今、耕雲寺十王堂内に安置す、よりてこの所に札打つなり。
  法の華根こしてここにうへの台深き色香を手折りてぞ知る(*2)
一、耕雲寺 禅宗頭陀寺末寺
 いにしえ伽羅山と云いし、中近高広山と云いしを近代東光山と改む。不納一反八畝歩。
 開山頭陀九世金菊全室大和尚(*3)
 門前に池あり、白山大権現の宮あり。
一、小手地蔵詣第一番
 小手地蔵詣は耕雲寺淵丈和尚始められたるなり。(*4)
 宝暦十一年[辛巳]九月、三十三番地蔵詣始まる。(*5)
一、稲荷大明神 搦手(カラメテ) 菅野庄太夫
 不納一反三畝六歩 俗呼んでからめていなりと云う。
 この社、蚕養(こがい)守護神なり。蚕養の夜風除(よかぜよけ)の願上すれば、その家に使わしめの蛇来たりて鼠を防ぐ。霊応水月の如し。(*6)
一、御影像稲荷大明神
 その舘主の影像を納めし処を御影像と云う。土俗あやまりておゑんそうと唱う。
一、樋ノ口(といのくち) 天平(てんだいら)
一、文殊
一、地蔵堂 小手地蔵詣第一番 [天平]地主喜八(*7)
一、作ノ内 蟹沢 延田[上下] 河原
一、阿弥陀堂 原の阿弥陀行基の御作 地主磯右衛門
 行基菩薩は泉州大鳥郡の人なり、姓は高志(こし)氏百済国王の孫なり。天平二十一年に菩薩号、二月二日寂す。八十二歳。(*8)
一、朝日地蔵堂(註3) 石仏なり、坂本という処に有り、田と畑との間に有り、杉一本有り。(*9)
一、駅の端に石有り、二尺ばかりの石なり。この石を縛れば小児の咳とまると云い伝えて願上に侍(はべ)るなり。(*10)
一、大榎
一、御竹薮[長さ十六間 横十七間]三反四畝歩 山守 市十郎 六右エ門
一、村高 六百石七斗六升六合
 文化三年寅年 筑後三池より来たる一万石領主 立花碩之助(*11)

註1一統「封邑。立花長門守殿御在所」
註2同右「漆窪と云ふ所に在り、昔日此窪に亀住て人を…慶長年中上杉家の手渡周防守…其亀を土中に封じ…館を築き…居住しける故亀居と」名付く。「又当邨に手渡を名付しと云…此人後に…大内」と姓を改めた由。
註3同右「土人相説に木曾殿御内畠某此地に来り亡君の為建立せりと云」

*1「漆久保」を活字本は「染久保」。現在地名「漆防(うるしぼう)」。「上代」を一統は「植の台」、現在は「上代」で読みは「うわだい」。「寺久保」の現在表記は「寺窪」。
*2「根こして」は「根こじて」の意、「根掘じ」は根ごと掘って移植すること。一統は「根越して」と誤読。
*3「金菊全室」は「金室全菊」の誤写であろう。
*4「淵丈」を一統は編集者が「淵大」と誤読。
*5「宝暦十一年」は1761年。この『小手風土記』には第二十一番札所が無く、二十三番札所が三ヶ所あることを私は気づかず『月舘町史』の記述で知った。誤写であろう。一覧表は観音詣でと共に『月舘町史Ⅰ』にある。
*6「夜風除」をガリ版本は「度風除」と意味不明ゆえ活字本に従った。「其家」を活字本は「我家」。
*7「喜八」を活字本と一統は「善八」。
*8ガリ版本は年号の「天平」を「天正」と誤る。
*9「杉一本有」を活字本は「杦(すぎ)三本有」と誤記。
*10「縛れば」を活字本は「転れば」と誤記。「願上に侍(はべ)る」をガリ版本は「願上に待る」、活字本は「願上に転る」。
*11後年の追記。「立花碩之助」は「立花順之助種善」。一統は移封の年を文化二年と誤る。