路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

役人の愚痴

 きのう3月24日『福島民友』紙2面の記事を引用する。
 標題は「政府への不信あらわ」、副題は「”頭ごなし”の対応に県」


 ……首相が23日、県産野菜の「摂取制限」を佐藤雄平知事に指示したのをはじめ、枝野幸男官房長官らが連日、政府の対応策を発信している。しかし現場で直接対応を求められる県災害対策本部に対し事前協議がなく、突然の「政府発信」に県の担当課は対応に追われている。
 「問題への迅速な対応は必要だが、指示を実行するには団体などへ要請しなければならず、現場は混乱する」と鈴木義仁農林水産部長。23日午前、菅首相が佐藤知事に対する県産ホウレンソウなどの摂取制限の発動指示も、団体への要請を求める内容ながら、事前の連絡はなし。発表後の連絡で県職員は県の対応を調整した後、松本友作副知事が県民に自粛を要請した。団体への連絡は半日かかったという。
 同日に文部科学省が発表した土壌の検体調査の結果についても、インターネットに掲載された報道内容で知ったという幹部がほとんど。鈴木部長は頭ごなしの政府の対応に「いつもそうでしょう」と述べ、政府への不信感をあらわにした。


 「頭ごなし」の語は、「横柄高慢、頭ごなしに叱りつける」といった使い方をする。上の文は「頭越し」の誤用だろう。しかしこの「頭ごなし」で思い出したのは数日前、知事が福島市内の体育館に避難した人達を見舞った折のニュース映像。座った避難者がカメラと知事を交互に見ながら自分たちの状況を国へ言ってくれと述べたらこの知事、「毎日言ってる!」苛立ち叱り飛ばす口調でそっぽを向き答えた。なぜこの男、自らも膝をついて相手の目線に向い、穏やかな声で「申し訳ない、毎日政府へ連絡を取っているのだが災害は広範囲のため充分対応しきれないでいる。まだ不自由をお掛けするが飢餓と被曝だけはさせない」ぐらい言えないのか。頭ごなしの言い方は、(おれは偉いんだ、おれはお前より頭がいいんだ、おれは忙しいんだ)などの情緒表現である。テレビ向けの発信としても逆効果だろう。

 付言の要あり、私はいかなる政治党派にも与せず現知事の敵対勢力ではない。また個人的に面識もなく私怨もない。実際私の政治意見など消極的なものばかりで、いっそ定家に倣い紅旗征戎わがことにあらずとでも言いたいほどの身。


 頭越しの対応では先年、基地問題で沖縄が怒った経緯がある。しかしこの記事に見る「摂取制限」に関してもし国が県へ事前連絡なる通知を行ったらどうなるか。関連部局の長を集めるのに半日、協議に半日、補償は国か県かなど話してさらに一日。その間、高濃度汚染野菜が流通するだろう。
 汚染濃度を検査する機関は国と県双方へ結果を送付する形になっていないのか。

 黒澤明が『生きる』において事なかれや盥回しの役人根性を揶揄したが、私の偏見で最も役人的と思えるのは責任回避の姿勢だ。法律上、個人名で責任を問われない職業なのにその恐々とした様は独特。


 川俣町の避難者は先に5千人近くあったが多くは双葉町の人達で埼玉へ移動し、今は4百人ほどになって町の外れ、先年廃校になった小学校一ヶ所に移った。


イメージ 1 町で一軒の銭湯。避難者半額だが現在の避難所からは遠い場所。

 裏山の頂にある風神雷神の祠が倒れていた。右が元の形。
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 きのうのテレビニュース、放射能汚染による避難命令の出た地域にまだ残る人を探し防護服姿の自衛官が民家を訪れた。「わたしは、いいんです」と人生を諦めた高齢女性の声。寝たきりの夫と避難所へ移っても皆に迷惑をかけるから行かないとアナウンサーの説明あり。これは辛い。

 先日、宮城県名取市閖上地域の津浪後映像を見たが、原爆や空襲後の焼野原津浪版ともいえる壊滅的打撃。役所は数字を記録するだろうけれど一人一人は蛋白質と情動の塊。


 23日は母親の命日だった。二年過ぎてもまだ山を歩きつ女々しく泣く。