路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

五月蝿いとは

 部屋で誰かと私が話をしている、そこへ蝿が一匹入ってきたとする、この蝿、必ず私のほうへ来る。
 部屋はどこであれ相手が誰であれ、また相手が複数としても蝿は私のほうへ来る。
 それを見れば私を虫の好かないヤツとお思いの方は認識を改めるだろう。
 バイキンオジサンと言われたことがある。ヘンナオジサンとも言われてきた。
 陰口は知らず、面と向ってバカ、アホウ、ドジ、マヌケは常に言われ、そればかりかダニ、ゴキブリ、ウジムシ、粗大ゴミと言われる。更に、足が臭い、屁が臭い、息が臭い、面倒臭いとも続く。
 もはや私自身、ゴミ、ダニ、ゴキブリを見て他人と思えない。蝿が私に親しみを覚えて当然だが私は蝿に親しみを覚えない。丸めた新聞紙を揮って叩こうとしコーヒーカップを叩いたりする。
 さりながら虫を見て悲鳴する女性を好まない(女性のほうはもっと私を好まないだろうが)。悲鳴する姿を見ると「可愛いかねぇや」と呟くのが条件反射になってしまった。お姫様気取りにしか見えない。
 数十年前、新聞のコラムで読んだ記憶では、俳優の柳生某氏が結婚の際、嫁さんに言ったそうだ。「どうか虫を見て悲鳴を上げないで貰いたい。子供がきっと真似をする」と。
 良い事を言う。世の中常にあるものに対し殊更な反応は性格を卑しくする。特別虫好きである必要はないが、その子供は虫を避けるため自然界への導きを自ら閉ざすことになる。
 経済の高度成長に合わせ世の中きれい好きが昂じ、不潔恐怖の精神病じみてきた。
 同じワイシャツを二日続けて着ないサラリーマンを身近に見たのは80年頃、やがて朝シャンだの、抗菌グッズだのが流行り、学校ではクサイ、キタナイがいじめの対象になる。児は親の似姿。
 私らが子供の頃は、そこそこ裕福な家の子がクラスに4,5人ほどで他は皆一様に貧しく、中には顔の垢をひび割れ状態にさせている同級生も居た。しかしそれをからかいの対象にする者はない。
 子供心にも人の匂いを非難材料にするのははしたないとの認識だ。ま、父兄参観日、教室に充満した化粧の匂いは皆口にして嫌がったが、子供同士、劣化した蛋白質や繁殖雑菌の匂いは許容範囲にあり排除軽蔑の対象ではない。
 貧乏人が持つ精神文化の善良な一面であろう。多くが栄養貧弱の鼻水を垂らしそれを拭うため袖口は光っていた。ボロや継当ての服を着て泣いたり笑ったり遊びまわっていた。
 さりとて過去の時代精神を取り上げ現代を批判する論調には与しない。
 不潔恐怖の個人が増えたのと比例し不思議にもその文化は空気や土や水の汚染とゴミを増した。どこか焦点が違っている。
 ただ、一般に良い匂いとされる車の芳香剤をひどい悪臭と感じる私のほう間違っている可能性は高い。
 ついでに私がこれまで女性から言われてきた悪口を並べてみよう。
 能無し、役立たず、根性無し、甲斐性無し、ろくでなし、出来損ない、唐変木、趣味が悪い、頭が悪い、大人気ない、他愛ない、天邪鬼、昼行灯、独活の大木、臍曲がり、鈍感、無愛想、無用の長物、サイテーッ。
 最も頻繁に言われるのは「バカ」の語だ。しかし悪口も言語文化の一端であり、せめて蒲鉾馬鹿(板についた馬鹿)目高馬鹿(すくいようがない)ぐらい言ったらどうか。いくら言われても小便を受ける蛙になっている私である。
 いや、きょうの一文は自慢話が目的ではない。

 「五月蝿い」についてである。
 数年前、サッカー日本代表の監督が「蝿のようにたかれ」と指示したら不適切な比喩だとジャーナリズムに叩かれ撤回した。
 さすが万物の霊長を自認する哺乳類ヒト科の皆さんは気位がお高い。
 蝿はその物質が食べるに値するか美味なるかを踏み応えによって判断しており、ヒト科の動物が嗅覚視覚に頼るのと同じく脚の触覚に依存している、だからたかる、やたらとたかる。
 また、手をすり足をするのは滑るのを防ぐため脂分をこすり落しているだけで助命嘆願ではない。一茶翁が述べたのは釈教歌もどきの比喩であり現代科学によって指弾するのは当たらない。

 「五月蝿」の語は古事記万葉の頃から使われサバヘと訓む。蝿は何月に出てもうるさいのになぜ五月か。
 大槻文彦氏の辞書『大言海』、サバヘナス(如狭蝿。如五月蝿)の項では「さばへハ多蝿(サハハヘ)ノ約ナルベシ、或ハ、喧擾(サバ)めくノ、さば蝿ナラムカ」と言い、ついで「蝿ノ群ガルハ、夏ノ五月ニ限ラズ」と疑問を付する。
 同じ思いでいたが一つの解を見つけた。
 この地では五月半ばに蝿が発生し、休憩や昼飯に良い場所では文字通り五月蝿くなる。それが六月半ば過ぎ、山頂や見晴らしよい休憩点の蝿がぴたり収まる。なぜか。
 オニヤンマの登場である。悠悠と直線往復飛行するこのトンボが居るところ蝿は少ない。雉の多いところ蛇が少ないのと数量的に近い。
 つまり五月蝿をうるさいとするのは農事や兵事、野外行動者の発想であろう。机上に向うだけの文学者にはわかるまい。
 「ワッタクシガー、ミッツケマシター」とアルキメデスの如く喜んだけれど、さて、証明の手立てがない。
 そんなわけでここへ記事とします。いけない、やはり自慢話になったか。


イメージ 1 オニヤンマは垂直に止まる。

イメージ 2 ついでに、コオニヤンマ。
大きさはオニヤンマの3分の2、両目が離れ、後ろ足が長い。垂直にも水平にも止まる。体の模様は同じでもこちらはサナエトンボ科。