路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

地方議会選挙は

 20日が県議会と町議会の投票日、今は連日選挙カーが走る。

 下は、前回町議会選挙の折に地元新聞へ投書し、例の如く処々変更、意味の通らないセンテンスまで現れ掲載されたその原文。
 1行12字。条文の数字は丸囲み字だがウェブに乗らないだろうとて括弧に改めた。

 連呼する者には
 投票したくない

 選挙期間は不愉快な世間
になる。
 公職選挙法第百四十条の
二(1)、
「選挙運動のため、連呼行
為をすることができない。
ただし、演説会場及び街頭
演説(演説を含む)の場所
においてする場合並びに午
前八時から午後八時までの
間に限り、次条の規定によ
り選挙運動のために使用さ
れる自動車又は船舶の上に
おいてする場合は、この限
りではない」
 何のことはない。
「八時から二〇時まで連呼可」
 一行ですむ条文。
 次項(2)は学校や病院周辺
では静穏を保持するよう努
めねばならない、とある。
 勉強する人間が学校に、
病人が病院にだけいるわけ
ではない。一般家庭には赤
ん坊や昼に眠る夜勤者とて
いる。
 候補者名は新聞やポスタ
ーで承知のこと、それを連
呼しては無意味語の騒音に
すぎない。意味と興味のあ
る話ならマイクを使わずと
も人は集まるだろうに、そ
れのできない無能な連中が
音の暴力である騒音を流す。
爆音バイクで得意げな子供
と心の汚さにおいて等しい。

 「何の某、がんばっております」車から手を振る候補者よ、車中から手を振るぐらい小学生でも出来る。がんばるの意味に値するまい。
 人々が、名前とお願いしますの語を繰り返し聞き、それではとて投票用紙に記名するわけもなかろうに。
 町議は家族親族従業員ご近所の地縁血縁頼りか、上の人間が右を向けと言えば全員右を向くような政党頼みの二種類しかない。

 県議とて同様、「地元の何々です」が唯一のアピールで政策の言及は付け足し。
 福島県議会は数ヶ月前全会一致で脱原発を決議した。しかし、これまで原発を推進してきたことへの反省と悔悟、「我、過まてり」を述べる者は皆無だ。現職がまたこぞって立候補した。
 (どのツラ下げて)と思うものの「このツラで~す」と返すぐらい厚顔でなければ政治家は勤まらない。
 県議レベルになると国会議員並に握手好き。現代日本で握手好きは議員と野球選手だろうが、そっぽを向きながらの握手ならよすがいい。それに私は男の手を握る趣味はない。若い女性の手であれば思いきり握りたいものの女性候補者は私を避ける。涎を見られたか。

 母親の葬儀に弔電をよこした県選出の国会議員に告ぐ、私が共に暮らした十年間母親は一度も投票に行かず、またお前達の知己ではない。従って弔電は弔意あっての表現ではあるまい。この一事をもってお前らには投票しないと決めた有権者がここに確実に一人居る。
 政治は金がかかると愚痴をこぼすなら無用な弔電や、政党名と自身の名を繰り返すだけで走る車のガソリン代を切り詰めたらどうだ。

 政治家の演説は無意味語が多い。全力で、絶対に、きっちりと、しっかりと、がんばって……いくら力んでも修飾辞は無意味語。「活力ある町づくり」だのいろいろあるが今は選挙期間中で具体的に述べると選挙妨害になる。

イメージ 1 んなわけで、昨日、塀にこんな貼り紙しました。
 勿論、厚顔な立候補者に通じると思っていない。この道は小学生の通学路になっており、私の本意はその小学生に見てもらうことにある。あなた方が選挙権を得る頃には現在のような選挙行動を改めてほしいとの願いである。

 隙間風入るボロ家に住んでも、キザを言うならショパンを聞けるぐらいの静けさがほしい。