路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

体内被曝、検出せず

 事故原発の北西40キロの町に住む。町の南部丘陵地は今も避難指示が出ており人々は仮設や借り上げ住宅に移っている。
 今月4週にわたり月曜から金曜まで計20日、1日100人計2000人の体内被曝検査を無料で行なうと町の公報にあった。避難地域の人や妊婦子供が優先されるとの但し書きがつく。
 三週目の月曜を第一希望に申込み、そのまま通り、16日、茨城県東海村へ行ってきた。この日の参加者92名。

 アトムセンターを待機所に検査機のある二つの施設に五人ずつ移動する。サーベイメーターによる体表検査のあとパンツ一枚のところまで脱ぎ用意されたTシャツと病院で使うような浴衣状の寛衣を着て測定3分間。
 一時間後に待機所で個々人に検査結果の提示と説明、質疑時間あって終った順に帰りのバスに乗る。

 私の検査結果、「検知されず」。
イメージ 1 計器性能はセシウム134が260ベクレル、セシウム137が330ベクレルを検出限界とし、それ以下は検知できない。
 年間1ミリシーベルトの被曝に相当するには体内にセシウム134で17000ベクレル、同137で27000ベクレル。
 私の場合、全く問題なし。当日、数百ベクトルの数値が出た人もいると説明者の言。
「だから機械が故障してるわけじゃありません」

 さてそれでは、私が昨年の原発事故以来、放射線を浴びないよう細心の注意を払ってきたか、まるでその逆。
 そもそも事故当時の学者の言、「年間100ミリシーベルトの被曝によって癌になる確率は0.5%増えます」。
 そんな言われようをしても私などアル中でモク中、安酒に合うつまみとてしょっぱい物やからい物を日常食し、それによる癌の発生確率が遥かに高い。また若い頃より歩きながら考え事をする習性あって見れども見えず聞けども聞こえず状態の歩行により車にはねられる確率は常の人より高かろう。もとより無駄飯食いの娑婆塞ぎ、放射線の影響があるならあれよかしとばかり無防備に暮らしてきた。
 事故のあとも連日除染の及ばぬ山野を歩き、誰も所有権を主張しない場所に出たフキノトウ、ワラビ、タケノコ、フキも採って食べた。家の庭に実った柿も何キロになろうか数十個食べた。スーパーで買う野菜は安さゆえ地元産を選んでいる。検査三日前にもフキノトウを10個食べた。
 その私にしてこの検査結果である。
 そう、この文は紫外線の忌避に似た過剰反応を示す方へ遠慮がちな私言でもある。
 飯米農家の知人は毎年縁戚へ米を送っていたが昨年は関東に住む身内から断られたという。セシウム量はキロ当たり玄米で27、白米で15ベクレル程度の米(出荷制限基準値は100)。
「あそこは孫がいるから」とは知人の弁。
 飲食や呼吸から入った体内の放射性物質は一般成人で新陳代謝により三ヶ月で量は半減する(排出される)。

 昨年4月だったろうか、避難指示の出た飯舘村を謝罪に訪れた東京電力幹部に女子高生が問うた。将来、子供を産んでその子に障害が出たら東京電力は責任を取るのか、と。語彙はうろ覚えだがそのような内容だったと記憶する。TVニュースに流れ、翌日の新聞にも載った。先週、朝日新聞の投書欄隣、記者の意見記事に被曝線量と異常発生の統計を示し、この女子高生が不安を抱く要はないと述べていた。その記述ならよし。もし後年、この女子高生に週刊誌根性のような嘲弄を投げる者あればその者を憎む。
 年間100ミリシーベルトの被曝を超えたところで有意の統計差が出る、それは現在の知見であり保安院の言い方を借りれば変更可能性もゼロではない。個人差や偶然の連鎖でセシウムその他の核種が遺伝子を壊す確率も、歩道の人間が暴走車に轢かれる比率ぐらいならある。私などとりあえず100ミリシーベルト以下ならかりそめの安全として日を送るばかり。民主主義やすべての固有名詞もかりそめの形、ついでに気取って言えば人の一生も。


 これは別の話。
 前に述べたように検査地は茨城県東海村、私の住む福島県川俣町から片道2時間半、バスは50人乗り大型4台、それぞれ運転手と添乗員2名看護士1名がついて20数人を乗せる。バス会社にはおいしい仕事。いかなる補助金によるか知らないが、もし行政側に中小企業経営者がいれば100人の客にバスは3台で余裕充分、添乗員は大型免許を持った町職員一人をつけるだろう。官の仕事は甘い、だから業者は阿る、地方の人間性が劣化する。
 何、そんなことはどうでもよい話、バスは行きに2回、帰り1回トイレ休憩で止まる。その帰りに止まった阿武隈高原パーキングエリアの売店でワンカップを探したが見当たらない。これから検査を受けに行くアル中の方がおいでなら、酒は持参することをお勧めする。


 更に全く別の話、これは何かと言うに酒のつまみの小皿のひと品、名づけて「目薬いらず」。
イメージ 2 昨年初夏、近所の方に玉ネギを一箱頂いた。「新玉ネギで悪くなるから早く食べて」とのこと。すでに表の1枚や芯の部分に腐敗の始まったのもあり、それを除きながら煮物炒め物に使い、次いでマリネにした。大玉1個に水煮のツナ缶と軽く茹でて斜めに切ったオクラ4本、セパレーツのドレッシング。これが酒に合い連日作った。
 そして気づいた。パソコンに向って目の疲労が少ないことを。
 それまで1時間もパソコン入力をすると目の奥に軋むような痛みが出て疲れ用の目薬を差していた。
 玉ネギのいかなる成分によるかそれは知らない。経験則として玉ネギは目に良いと断言する。
 料理教室のようなところでは薄切りした玉ネギを水にさらすだろう、確かにそのほうがシャキシャキ感とサッパリ感は出る。しかしビタミンの多くは水に溶け熱に弱い(例外的にジャガイモのビタミンCは加熱しても壊れない)。私は水にさらさない。飯のおかずでなく酒のつまみであるから生の臭み、えぐみ、辛みがそのままで丁度良い。
 写真は現在の定番、中玉5分の1薄切りに辛みの中和材としてキュウリ少々加え、軽く塩をひと振り、マヨネーズをのせただけ。マヨネーズにしろ他のドレッシングにせよ完全に和えてしまうとビタミンの力が弱まる気がする。箸で摘むさい玉ネギの片隅に少量ついたマヨネーズが口の中で潤滑油として働き養分は損なわない、てなことを勝手に考え毎日の一品である。昨夏以来目薬を使っていない。週一度は気分転換にドレッシングする。