路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

『小手風土記』を現代仮名遣いにする18下小国村

 18下小国村
一、熊野大権現 [兼帯]木村美濃守
 祭所 伊弉冉尊(いざなみのみこと)事解男神(ことさかのおのかみ)速玉男神(はやたまのおのかみ)(*1)
 風呂 照内
一、八幡宮
一、観音堂 石燈籠二基 高屋敷
一、愛宕山大権現 松数株あり
 山峯
一、舘 往昔大波蔵人と云いし人居城なり、その子孫伊達政宗に属して今に大波氏あり。
一、若宮
 大波蔵人城中に鎮座して信仰深かりけるとや
一、清水 荒屋敷 片眼梨(メッコナシ)(*2)
 この地の梨片々つぶれてなるなり、よって字名とすと云う。(*3)
 山田 堂の前
一、小手廿三番札所 千手大士堂(*4)
 独立したる山なり御坂二丁余り
  雲晴れて西も山田の入日影たからの庭に露の玉だれ
 上河原
一、牛頭天皇宮(註1)岩穴に立たせ給う
一、照旭山小国寺 村名をもって寺号とせり
 開山頭陀三世梁山恵棟大和尚(*5)
 寺下 宮ノ下 畑尻 女夫清水 貝曲り 行人檀 高野 福田 入ノ内
 西ノ沢 新田 稲葉 伏場小屋 田ノ入 上鍛冶 下鍛冶 宮 如来
一、如来
 馬上内 玄蕃内 松ノ口 津田(註2)
一、照妙院(註3)(*6)
一、堤山御竹藪[長六十五間 横四十九間] 御竹薮守 式左衛門 弥左衛門(*7)
 反別 一町六畝五歩
一、村高 千三十石八斗五升五合(*8)
一、東西十八町 南北六町
一、小手庄北方にあたる村なり掛田村に隣れり
一、六十三騎 二百五十石 安藤藤兵衛
一、土地竹に宜し小国竹と唱う。志林に云う、竹に雌雄有り、雌は@多し。故に竹を種(う)うるには常に雌なるものを択びて陰陽を逃すまじ、信ぜざるべけんや。およそ雌雄を識(し)らんと欲せばまさに根上の第一枝これを観(み)るべし。双枝有るものを雌竹と為し、独枝なるものを雄竹と為す云々。(*9)

註1一統「六月七日十四日祭礼」
註2一本に「澤田」とあり
註3一統「修験者 大久保貴見院配下」

*1伊弉冉の「冉」は冂の中に井の形で筆記されている。上小国の項では「並」。活字本の金子青々氏筆記も同じ。文字面は音や意味が伝わればよいわけで目くじら立てることではない。
*2「荒屋敷 片眼梨」をガリ版本は欠く。
*3「片々つぶれて」を活字本は「片こつぶれて」。これは「片方つぶれて」かもしれない。一統は「かためつぶれて」。さりとて梨の片目片方とは何か。梨には片方の肩が膨らむ品種がある。
*4一統は「大悲堂」。観音堂のこと。
*5「恵棟」は天文年間の人。
*6ガリ版本はこの院名欠。
*7「弥左衛門」を活字本は「治左衛門」。
*8「村高」を活字本は「村馬」と誤記。
*9「志林」は11世紀北宋時代、蘇軾の著『東坡志林』か。
  @は竹冠に横棒が二本足りない聿、「筆カ」と脇注あり。活字本と一統は「筝」とする。これは文脈からして「筍」であろう。筍の沢山出る品種を雌竹と呼ぶ。竹個体に雌雄の別はない。