路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

『小手風土記』を現代仮名遣いにする16秋山村

 当郡南に一邑有りて川俣と謂うなり。まさに二川の流れ街中に合す。是、小手庄二十六郷庶民儈合県の魁なり。また近邑は絹機(きぬはた)をもって渾(ふる)う。業となすその織り出す品類は綾(あやぎぬ)において巧み、至って繊縠(せんこく)なるは豪貴の襟を飾るに応ず。また細綸絹紈(さいりんけんがん)の軽羅は一衣三両なり。大と無く小と無く昼夜各(おのおの)止まずなる、ある嫗婦(おうふ)の繰車の音は雷声が如き響きし、また叔女の機抒の音は冬風の烈(はげし)きに似たり。毎月六度儈県し商売交易を為すものなり。所謂(いわゆる)三都における有斯絹(うすぎぬ)の名なり。また紫染をもって名誉となし諸国これを好みて賞美す。おおよそこの廿六郷の邑民(そんみん)は稼穡(かしょく)を委(やすんず)るに山舎田屋豊饒にて富家(ふうか)軒を並べ寛々たり。東は相馬の地に隣し、南は田村郡に旁(そ)い、西は安達郡に向う。恰も凾中の如きなりと雖も伊達の中(うち)小手郷二十六の村民は言語人物など別しての風姿有るなり。また県阜(けんざと)飯野(いいの)築館(つきだて)小嶋(おじま)手渡(てど)秋山などなり。(*1)
 大波 小国[上下] 御代田 布川 手渡[上下] 糠田 小嶋 飯坂[町在] 大綱木 小綱木[町在] 五十沢[東西] 鶴田 立子山 小神 羽田 松沢 飯野[東西] 大久保 青木 秋山
 高合(たかあわせて)三万千三百四十三石一斗九升余
 人数合 一万四千九百三人
  内 男八千六百三十二人
    女六千二百七十人
    馬二千三百四十三匹
    牛十二匹
 家数合 千九百四十一軒
 寺 四十六ヶ寺
(註)本巻の序の様に用いられてあるこの一文は、日下兼延著「信達風土雑記」(元文年中の作)より収録したものである。現在、常泉寺所蔵に係る写本「渡辺嘉兵衛本」にはこの一文は一巻の序に用いられているが「渡辺嘉兵衛本」の底本と思われる「同弥左エ門本」に準拠して、三巻に収録した。しかし筆跡等より見て、本文は後世に書き加えたものと思われるので、この一文は「小手風土記」に元来なかったものと思料される。この一文には現在亡びさった産業としての「川俣紫」を始め、六斉市の張行、高業、高利貸資本の担い手としての問屋の多い事を示すと共に、更に天領として「言語人物等別有風姿」する所謂「川俣人気質」を述べているのは注目して良い。(木村記)

 16、秋山村(註1)
一、正一位稲荷大明神 小手十九社 神主
 往古、人皇四十三代元明帝の御宇、和銅四年二月十一日午の日、山城国三ツの峰に出現し給う。
 本社第一宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)、第二素戔嗚尊(すさのおのみこと)、第三大市姫(おおいちひめ)。(*2)
 二月初午参りは和銅年中二月初の午の日出現より恒例の祭事となる。
  稲荷山しるしの杉を尋ね来てあまねく人のかざすけふかな 顕仲朝臣
  稲荷山杉間の紅葉来て見ればただあさ地なる錦なりけり 周防内侍(すおうのないし)(*3)
 この社に移せるに霊杉生茂りて木立物ふり神さびたる風情いと尊し。祈るに蒼生を守り給う。すべて霊瑞あらたなる御社なり。例祭四月八日。神主斎藤播磨守。(*4)
一、小手地蔵詣第十番地蔵堂[二間四面] 地主[荒屋敷]新次郎 三右衛門
 地蔵堂、旧地は境前という処なり。今、古堂と云う。
一、麓山(はやま)大権現 月山 親子不見山(註2)
一、愛宕大権現(註3)
一、小蓰王(こしょうおう)大権現 御坂階 並杉数株有り(*5)
 御堂[三間四面] 長床[二間梁に五間] 祭礼三月十四日
 鐘撞堂 鐘の銘に曰く
 奉寄進小蓰王大権現明和九年[壬辰]九月吉祥日
 奥州伊達郡小手秋山村庵主清覚常休
一、川面(かわづら) 津軽采女正(うねめのしょう)様御代官 御知行三百石高橋清左衛門
 根本(註4) 岩ヶ作 柿木平 南 横道 中間 高屋舗 思窪 中森 駒返 一貫森 片平
 鈴ノ入 小屋場[才神 道祖神(註5)] 元内 椚平 舘野[古舘有り] @田(註6) 平内 町作ノ入
 井戸神 葭作 稲荷様 天笠 足ノ股 蟹沢
 (此所コンザツシテワカラズ後ニ改タダスベシ)(*6)
一、小手廿番札所観音堂[二間四面]階八枚
  木の葉降る音高屋敷夢さめてしぐれにまがふ月の秋山(*7)
一、霧ヶ久保[切岳坊とも] 這松、馬場などあり。(*8)
一、越へ田[肥田とも] 堀の内館(註7)
 葭ヶ作 神井戸
一、水雲大明神(註8) 古木の桜老松有り
 足ノ又 天笠 [修験]吉寿院(*9)
一、天上坂 一貫森
 天上の山の頂に沼有り、真井と号(なづ)く。いにしえ天女くだりて浴す時に人行きかかりしに天女おどろきて羽衣を着し飛び去ると云えり。よりて村の字に天上天笠などの名有るとかや。(*10)
一、金毘羅大権現 階 石燈籠二基
 讃岐国象頭山(ぞうずせん)金毘羅大権現を移し奉るなり 寛永年中
 椚山 石崎舘
一、地蔵尊 石仏なり 眼の願上するに霊験あらたなり 道の上に細道に並杉数株あり
一、正学寺 斉家宗(*11)
 本尊釈迦牟尼仏 往古の本尊は弥陀如来なり
一、南無阿弥陀仏碑 寛延三[癸亥]年(註9)十月吉祥日
一、六十三騎 百石今野九左衛門 百五十石神野與惣兵衛 百五十石高橋内蔵之助 二百石高橋清四郎
一、川面 椚平 作の入 是を秋山三家と云う
 六十三騎の内清四郎儀、親太郎左衛門会津若松へ証人に差し上げ、その身妻子ともに梁川へ籠城仕(つかまつ)り掛田責め、御一類数度の高名仕るにつき、須田大炊介長茂(註10)より右二百石給わり判形(はんぎょう)所持仕り候。
 東は羽田、南青木、西立子山、北小国
一、村高 七百九十三石九斗五升二合一勺
   黒沢金右エ門 三浦甚十郎 之を記す

註1一統「秋山村 公邑 立子山邨の東にあり高七百九十三石九斗五升二合余古事記中之巻に曰く秋山の下氷壮夫(したひおとこ)神座す按ずるに是書に依りて名付し邨名なるか其近隣に男手神など云へる山あり」(*12)
註2同右「親子不見山と云あり、其説詳ならず、又月山と云あり、山中に鎮座す、此地に出羽国月山を移せるか、或は月に対して名付けしか」
註3同右「霊験の事あり邨人尊信す世人之を養老と申…養老元年出現し給ふ故なるべし…六月廿四日祭礼」
註4上秋山で現在の大字秋山の上の方半分に当る。
註5一統「小屋場と云所に鎮座なり…所謂道祖也猿田彦命を祭」
註6@1=@2 読み不明。高橋は「絞」と読む。(*13)
註7一統「永禄天正の頃堀内何某殿住給ひし旧蹟ならむ。或は霊山国司の家人居住せしか」
 堀ノ内は平安後期の名主の住居であり、堀を廻らした中を自作し、その外の田畑を小作にしたもので、現在の佐藤健三郎家は秋山、羽田に多い佐藤氏と共に古い家系である。(高橋記)
註8一統「古木の桜あり又老松数株茂り高皇産霊神を祭れり、此地、足の股、天竺など云絶景あり」
註9寛延三年は庚午に当る。癸亥は寛保三年に相当する。
註10一本に「長義」とあり。

*1原文は返り点を付した漢文なので読み下してみた。誤りがあるかもしれない。
  「儈」は仲買人、「儈合」「儈県」は競り市。また「県」は中国の郡大県小と同じ用い方であり現代で言えば一つの町、一都市のこと。「県」は「縣」と書いており、一統はその一つを懸と誤記。
  「繊縠」はガリ版本と活字本一統みな「繊穀」と記す。繊維の話ゆえ縠に改めた。しかし穀を援用している例はいくらでもある。細糸の練り絹のこと。
  「細綸絹紈」糸は細く、織は薄い白絹。
  「機杼」の杼をガリ版本は抒と誤記。口語は「ひ」、機織りで横糸を通すシャトルのこと。
  「音似冬風烈矣」の矣の文字をガリ版本はムの下に火、活字本は炎にする。「機杼の音、冬風の烈炎に似る」では意味が通らない。一統の矣を採った。
  「有斯絹」。川俣絹は古くから軽目羽二重と称し薄くて軽いことを特徴とする。
  「諸国」を一統は「隣国」と誤記。  
  「稼穡」は「家穡」と書かれていたのを改めた。意味合いに違いは無い。
*2ここの文と引用和歌は『都図会』「三の峰稲荷大明神の社」から引き写し。
  「元明天皇」は天智天皇の第四皇女、「和銅四年」は711年。
  「宇賀御魂神」は「宇迦御魂」「倉稲魂」とも書き穀物の神、福の神。弁才天に比定され天女像で描かれることもある。「稲魂女(うかのめ)」の語もあり。
  「素戔嗚命」は天照大神の弟。賢姉とバカ弟の対になる。平塚雷てう氏が日本の昔は女性が太陽だったと述べたのは正しい。ギリシャ神話は双子の兄アポロンが太陽神、妹アルテミスが月の神。
  「大市姫」は天照大神素戔嗚命が誓約を交わした際に生じた宗像三女神の第一、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。市場の神。宇賀神の弁才天女性像はこの市姫由来とも言える。
*3「あさ地」にガリ版本は(浅茅)と脇注する。『都図会』の表記は「あを地」、活字本も「あを地」、一統は「青地」。引用の元である『夫木抄』は確認していない。周防内侍は平仲子。
*4「木立物ふり」を一統は「木立も年ふり」とまともな日本語。「祈るに蒼生を守り給う」を「永く稷を守り給う」。
  神主名をガリ版本は「幡摩守」と誤記。
*5「小蓰王」がいかなる神かわからない。地元の方は「こしょうさま」と呼び記述の通り釣鐘がある。木立に囲まれ目に付かないことからこの釣鐘は戦時中の供出を免れた。「小蓰王」を大正新修大蔵経で検索した。念のため「蓰」の他に「蓯、簁、篵」なども入れてみたがヒットなし。仏教、道教、修験の辞典になくどなたか教えを請う。
*6地名を列記した部分、解読者は匙を投げた。「中間」を活字本は「中内」とする。現在の地名に「仲田」があり「中田」かもしれない。
  字名の表記文字が現在異なっているものをあげてみる。「根本→根元」「高屋敷→表屋敷もしくは新屋敷」「思窪→柿窪あるいは栃窪か」「小屋場→古屋場」「井戸神→井戸上」「葭作→芳作(よしさく)」「稲荷様→稲荷沢」「足ノ又→芦ノ亦」などある。
  @は月偏に「受」からウ冠を抜いた文字。註では人偏にも書いている。現在地名では舘野(たての)に隣接して「渋田」がある。
*7活字本の印刷は「音」の字を欠く。「まがふ」を一統は「迷ふ」。
*8「抔」を活字本は「杯」と誤記。
*9「天笠」を活字本は「天竺」。ガリ版本も註において一統の引用文中に「天竺」。現在の地名に近似語はない。
  一統は「水雲大明神」が高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祭ると記す。
*10「名有るとかや」を活字本は「名のるとかや」。また、一統では天女が羽衣を著せずして昇ると記す。
*11一統は「秋山山正覚寺 済家宗」。現在名も正覚寺
*12「下氷壮夫(したひおとこ)神」の「氷」をガリ版本は「水」と誤記。「下氷」とは色付いた紅葉の意味。秋山の下氷壮夫とその弟、春山の霞壮夫(かすみおとこ)が女を得ることに賭け事をした話。
*13@は「*6」に記した手書き草体字。