路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

路上に死ぬ蛇その他

 真夏に舗装路でシマヘビが干からびていた。何度も轢かれすっかり平らになって、それをめがけ急降下した鳶が嘴を立てる。蛇は炎熱の路面に密着しており咥えられない。反対側から再度試みて不首尾、鳶は諦めた。先日路上にS字のシミを見て誰が始末したかの疑問が解けた。蚯蚓や蜂、蝶ぐらいなら蟻が運ぶ。もし鳶は私がいなければ地面に降り立ち悠然と食事に入ったかそれは知らない。
 ある林道では轢かれて間もないジムグリが鎌首をもたげたまま硬直していた。遠目には生きている格好だが胴の一部は轍による偏平、滑稽な姿と見る人もいるかしれない。別の路上では尻尾と胴体が二十センチ離れ共に潰れた蜥蜴があった。まず前輪に尻尾を踏まれたのを自切して逃げ、その身が後輪に轢かれたと想像できる曲り角だった。これまた滑稽と笑う向きもあるだろう、その心には与しない。
 斜面を削り谷を埋め無意味に伸びる舗装林道の多さ、その路上に多くの死を見る。首に噛み傷あった土竜は猫か鼬によるものか。側溝で二匹の鼬が語義通りイタチゴッコをしていた。人の指ほどのぶよぶよした緑色、背に白いハの字を並べた蛾の幼虫へ蟷螂が食いついている。クチバスズメの幼虫。蟷螂は足で抱き押さえ、噛み破ったところから白い泡が出る。柔道の押さえ込みを逃れるように幼虫は胴を左右に苦悶する。車など二時間に一台通るほどの路上。
「茸取りかい?」
 先日は地元の人に聞かれた。
「いえ、花や蝶を見ながらぶらぶら歩きです」
 茸の薀蓄をしばらく聞いてから尋ねてみた。
「東側に道路を作ってますが隣の山にも縦断道路があるし有力な代議士でもいて金を引っぱってるんですか。下の県道でも広げたほう金が生きると思いますが、そんなに地元の要望が強いんですかね」
「いやあ、おれらは何も言わね。馬鹿な話で、あの道路作るせいでまた、砂防ダム二十作んねっかなんねんだと」
 私が舗装路と土の道では足の疲れが違うと言えば、
「んだ、あんな道、バラスでいんだ」
 以前、工場の機械加工仕事で床が鉄板やコンクリートの場合と木の板の場合とでは疲れに雲泥の差があるのを知った。舗装道路と土の道でも同様、マラソンランナーは気の毒に、加えて車両の排ガスも胸いっぱい、あれを健康の表現とは思わない。
 地元の人と別れしばらく行くと雉がケンケンと鳴き樹間に栗鼠を見る。路上を赤い斑紋の蛇、ヤマカガシが横断していた。その歩行が遅い。病を得たか老齢か。若い日、九州でのヒッチハイクに熊本から長崎までの道では猫の死骸が多く目立った。水俣病によるものと知ったのは数年後だ。そんなことを思い出していると蛇は漸く横断を終え、溝を跨いで半身を草むらに置く。それからは病気でも何でもない、茂みへ足早に立ち去った。いや、蛇が足早なはずは無い。ここでコンクリート面は蛇の移動に不向きなのを知る。路上で轢かれる原因の一つだろう。
 時に横風が吹き、それに乗ったキチョウが胸前を過ぎた。背後に車の音は聞こえていた。どうしようもない。キチョウはワゴン車の前面に当り、軽量とてパシッという衝突音はあった。車は去り路上に震える蝶。震えているのは風のせいで翅は表裏を逆にしていた。図鑑の場合、翅を広げたときの面を表と呼ぶ。キチョウは翅を閉じているのに呼称通り表を見せていた。人で言うなら背後から両腕掴み、背に片足かけてエイッとばかり肩の関節を外したのと同じ。さらにヘラクレスの怪力で舗装路に叩きつけられた。いやなに、言葉事など思いついたところで興もない。
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