路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

『小手風土記』のわからない言葉

 以下の文は昨年私が郷土史家の方にお尋ねした質問紙。私の知ったかふりも加えてある。どなたなりと答を寄せていただければありがたい。
 『小手風土記』は天明8(1788)年、町在住三浦甚十郎氏の著書。
 印刷本は2種ある。
 ガリ版本は昭和40(1965)年、川俣町史資料第3集として印刷された。底本は月館熊野神社所蔵本。
 活字本は昭和61(1986)年、筆書の写真に活字文を並列する。底本は常泉寺所蔵本。

 

『小手風土記』(ガリ版本)から質問幾つか

(町飯坂)
P5上 「壱寸八分」の仏像、小指の大きさです。それでも人々に貴重と感じさせたのは象牙や犀角による渡来品ではないかと空想しました。古代にそのような仏像はあったでしょうか。
 ついでにお尋ねします。昔、中国から印度、日本から中国に渡った僧侶が経典と仏舎利を持ち帰った話はよくあります。その仏舎利を私は宝石類と考えています。この考えは歴史家の皆さんで常識でしょうか、少数派でしょうか。

P13上 「李白の大姥の吟」とあります。金子氏の筆記も「大」ですが、正しくは「天姆(てんぼ)」です。
P15下 「千豁」であれ「于豁」であれ読みも意味も分りません。「豁」はからりと開けた地の意味です。「豁」は「谿」かもしれないと考えましたが元より私は古文書が読めません。
 そしてこの場所はどこでしょう。追戸へ行く途中砂防ダムのある辺りが以前の滝でしょうか。

 砂防ダムの手前、左の山中へ入る沢沿いの小道があり、八百メートル程進むと沢が岩盤によって滝をなす場所に出ます。かつてはその滝を受ける形で不動尊像が置かれていました。

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 今は自然に割れただろう四角石になり仏像はありません。冬には四角石に菰を被せて信仰者の持続は窺え、昨年この場所の籠り小屋が新築され杉林の間伐作業休憩所にもなりそうです。近くの民家で管理者を尋ねてみましたがご存じないとのこと。
 また小島下滝地の最奥の家から数百メートル登ると同じ景、沢水の滝があり、二十年前には不動尊像が置かれ籠り小屋も建っていました。小屋は次第に朽ち倒れ、今は跡形もありません。そしてこちらも滝を受ける形で置かれていた不動尊像が見当たりません。横にレリーフ石碑の不動はあります。私の脳ミソはまことに貧弱でこの石碑が滝の下に置かれていた物か思い出せません。何となく丸彫りの像であったような……。こちらの上滝不動は擣野正宝院主が毎年祭祀を行っていた記事があり、元の正宝院宅を何度か訪れましたがいつも留守。先日、その近所の方から当主は昨年亡くなり法嗣も絶えたと伺いました。もしこの二つの不動についてご存知のことあればお教えください。
 ついでに滝を表現した文のうち御存知だろうことを註に無いゆえ知ったかふりして述べます。「銀河倒挂三石梁(ぎんがさかしまにかく さんせきりょう) 香爐瀑布遥相望(こうろがばくふ はるかにあいのぞむ)」は李白『廬山謡寄盧虚舟(ろざんのうた ろきょしゅうによす)』の文句です。「三石梁」は三つ並んだ石橋、そして天台山の石梁瀑布も想起させます。

(松沢村)
P22上 これも調べたことを知ったかふり。「謝荘」は西暦450年頃、「庚亮(カウリャウ)」は300年頃、共に中国河南省の役人詩人です。
P22下 四行目「鳥居の舊地也ト今ふ留」を活字本は「舊地やと云ふる」にしています。「云ふる」の言い回しは聞きません。こちらの「今不留(いまとどめず)」が妥当でしょう。
P23下 穀類の適時を述べた文、冒頭の「禾」は稲でしょうが寅を忌む「秝」は何でしょう。

(町小綱木)
P26下 「陣屋元建」の意味が分りません。陣屋敷地分の二石近くを課税から除くという意味でしょうか。
P30下 註にある通り「素 」は「素練(それん)(白ねり絹)」が妥当です。

(西五十沢村)
P37上 「岫」の読みと「岫是より永田へ移ル」の意味が分りません。P31にも地名として、P42には「灯篭岫」の語もあります。トウロウシュウではないはず。和訓は何でしょうか。

大久保駅
P38上 幸の神の項、「所願ある時隠相を作り」その「隠相」とは絵馬のような物でしょうか。また読みはインソウ、オンゾウどちらでしょう。

(立子山村)
P45下 二行目「須(すべからく)」の文字を活字本では金子氏の筆跡と活字共に「湏(カイ)」としています。これは面を洗う意味で須とは別字ですが一時代誤って広く用いられました。次の行「 池」を「池に臨みて」と私は読みました。

上小国村)
P59下 稲荷宮の文、「丹」の意味不明、文末も消えています。「偶(タマタマ)了タルニ仲秋能午の日故ニ而至今丹此日ヲ」これを活字本は「偶ニ仲秋の午の日故にて今至り此日ニ祭り」としています。

(付録)
P75上 「續へて」の読みをあれこれ考えましたが「続いて」「続ひて」どちらか筆の走りとみます。この筆者神主が女神山を述べた項の末尾(P70)、「皆神道其職ヲ怠ヨリ出ツ」と自陣を叱咤し、敵陣僧侶を浮屠と呼んで「神明ヲ潜メテ仏宇ヲ雑(まじ)ヘルヨリ出ツルナリ嗚呼釈徒異端何ゾ無情ナル哉挙テ嘆ズベケンヤ」との悲憤慷慨、幕末から明治初期に廃仏毀釈を煽動した神主達の生の声が聞こえます。明治2年、目の上の瘤、神宮寺を廃したところで手打ちにする選択もあったでしょうに、これほど怨み深いとは。仏教と神道、どちらも虚構を事実と見做して論拠に置き、口では論理の争いも実際は俺らとヤツら、徒党の争いです。
P75上 「糠塚山頂の火葬穢火」山頂での火葬は何か特別な習俗でしょうか。また仏教は火葬、儒教は土葬、神道の古義はどちらでしょう。

P75下 「千庶幾」が読めませんでしたが無理に「千庶(せんしょ)幾(こいねがわくは)国豊(ゆたか)ニ民安(やすん)じて其(その)神徳(しんとく)ニ帰(きせ)ん乎(か)」と読んでみました。

(下糠田村)
P78上 「傳女石」を活字本は「傅女石」。読みを考えるに「でんじょいし」はもとより「かしずきめいし」「いつきめいし」では口語に合いません。「守女」や「乳母」と同意味ゆえ「もりめいし」「うばいし」と読む方法はあります。
 しかしもう一つ、人偏は後人が付けたしとして「専女(とうめ)」かもしれないというのがバカな私の考えです。老女のことですが「伊賀専女」の語もあるとおり古狐も意味します。前の座頭石の句、「笑ひには探る手もあり夜の石」これは暗闇を手探りで進む夜這いの句、それを受け、娘目当てに忍んだところ婆さんだったの滑稽、「後ろ結び」は帯のことで堅気女を意味します。そして葛の文字、「恋しくば尋ね来て見よ」と歌った信田狐(しのだぎつね)の葛の葉姫に繋がります。「節」は結び目の「ふし」か、節義の「せつ」かどちらでも読めます。次の句「嘘や買ふて傾城石に苔の華」は動かぬ石に苔むすほど末永くあたしの心はあんただけと女郎の起請文を真に受け散財する男、「苔」は「虚仮」の掛詞。この三句は連句として成り立っており、洒落本隆盛の天明期らしさがあります。

 「傳(デン)」と「傅(フ)」について述べます。片や伝の旧字、後者は養育係の意味です。活字本は一字だけならまだしも誤植と言えますが「傳」であるべき「云伝え」「伝説」「伝え聞いて」などの語すべての「傳」を「傅」にしています。印刷会社と編集者双方とも別字と認識しておりません。

(小嶋村)
P84上 「興隆寺回録」これも活字本は「回禄」と訂正しています。火災のことです。
P85下 「聆」は「聞」の意味ですのでルビはキクでしょう。次の行の「眠」を活字本は「賦」と訂正しているもののガリ版本同様「歴」にタリの送り仮名を付け「年所ヲ」と続けます。ここは左思が十年の歳月をかけて『三都賦』を完成させ洛陽の紙価を高めた故事を述べたもの。「嗚呼(ああ)聆(きく)、左思が博才だも蜀都の賦に歴年たる所を、況(いわん)や子(し)が撰、年を渉(わた)らず…」と読みました。

(書全体)
・「在家」と言えば「在家僧」しか知りませんでした。先頃『川俣町史』の羽田春日神社の項に「現在でも祭のとき御輿をかつぐ四人、それに天狗やおかめの面をかぶって御輿に従う人三人が定まっており七軒在家と呼ぶ」とあり、世襲です。中世の「神人(じにん)」と同意味でしょうか。鶴田村にも七軒在家、西五十沢では五在家、布川村では十七軒在家、意味がどれ程違うか大久保白幡八幡の大正院では山伏七軒の記述もあります。

・神主が国主を名乗ります。その国名は今で言う神社本庁のような大本から配分されるものでしょうか、それとも勝手名乗りですか。もし近くの神主が同じ国名を名乗ったら滑稽な争いが生じることでしょう。この本で拾ったところ21人の中でペアが二組ありました。在飯坂村諏訪神社の斉藤若狭守と布川村熊野神社の松本若狭守、小綱木村御霊神社の斉藤大隈守と大久保駅住吉神社の菅野大隈守、さすがに陸奥守はありません。上糠田村熊野神社の神主が勝手に紀伊守を名乗るのは自然ですがどのようにして国名を撰ぶのでしょう。


 以上の文のうち「岫」の読みは古語に「峯岫(みねくき)」があった。現在川俣町の地名表記では「久木」になっており、隣町飯野では「岫」がまだ使われる。
 「隠相」は先日『信達一統誌』を見て性器と知った。
 「在家」兵農兼務の家柄、地元ボス、村役人へと繋がる家のこと。『福島県の歴史』にはまず中世荘園の末端管理者として登場し、戦国時代には領主が在家一つを売却した例もあり土地単位ともなっている。

 文には書かなかったものの写真を出した不動明王が『小手風土記』記載の「石の五大尊」ではないかと推測している。もしこの記事が石像を所有する方の目に触れたなら四方の明王もあるかをお教え願いたい。
 現在『小手風土記』の一字一句を追う作業中。