路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

殺人容疑者が居たからとて

 また無意味な言をなす。
 私が住む町の南部山木屋(やまきや)地区は避難指示が出ており除染は環境省直轄になる。
 8月、大阪寝屋川で中学生男女殺害事件があり、容疑者はこの地区の除染作業員として働いていたと報道された。
 町長は抗議文を出した。町の広報9月号に自ら書いている。
「……多くの除染作業員が真剣に作業に取り組んでいる中、このような事件が起きたことは町民皆さんに大きな不安を与え、皆さんが除染作業に寄せている信頼を失いかねないものであります。町は8月23日、環境省福島環境再生事務所長を呼び遺憾の意を伝え、国の責任において全作業員に対する、生命や人権の大切さに加え、法令順守意識の徹底、定期的な作業員の現状把握、関係機関との連携を図るなど、2度とこのような事件を起こさせないよう厳しく管理の徹底を求めました。……」
 8月24日には町議会が作業中止を申し入れた。翌日の読売新聞地方欄に、
「寝屋川殺人容疑者が町の山木屋地区で除染作業をしていたことにより「住民に大きな不安と恐怖を与えている」として国に同地区での除染の中止と31日から開始予定の長期宿泊延期を申し入れた。黒沢敏夫議長は「住民から『怖くて帰れないという声を聞いた議員がいる』と説明した。事件を受け、環境省は除染の請負業者に対し、作業員に法令を順守させるよう求める文書を出した」
 8月27日の読売記事。
環境省福島事務所は26日、県警と合同で元請け業者の担当者向け会合を開き、集まった39人に除染作業員への法令順守指導徹底を呼びかけた。同省は町議会から除染中止なども求められており……作業員一人一人に住民の安心に配慮して作業することを誓う書面を提出させたことなどを議会に報告、27日から作業を再開すると伝えた……」
 このように書き抜けば私の言いたいことはおわかりだろうけれど、話がくどいは酔っ払いの常、かまわず述べる。
 
 町長が環境省を呼びつけ抗議文を出すと決めた時、そばで誰か、
「町長よ、あんたが個人の名前で抗議すんのは勝手だげんちょ、町の代表ヅラして町長の肩書き付けんでは、スジも相手も違うべ。この町の人間が殺さっちゃわげでねんだぞ。それに作業員の犯罪で町が困ってるっつうのか。町で作業しったからって、殺人は大阪だ。環境省にも請負業者にも管理責任なんかねえぞ。止めとけ、ほだごど」
 と、語る取り巻きは居なかったのか。……居なかったのだろう。居たとしたら作業再開に、
「ほら見ろ、法令を守らせるだの誓約書出さすだの、口先だけ、紙切れだけで終りよ。何の意味もねえ。こっちのメンツ立ててくっちゃんだべ、作業三日止めてな、それはまあ、ずっと雨だったがら良がったがもしんに、んだげんちょ、警察と連繋図るっつうのは作業員名簿出さして前科を照会するってことだべ。ほんじはまるで前科者は働くなって言ってんのと同じだぞ。仕事ねがったら、貧の盗みに恋の歌でよ、また悪い事して戻るしかねえ、人権侵害だ。環境省にしたって、町の連中何をゴネ得狙って抗議してんだが、バカでもあっぺと思ってっつぉ」
 と言いうるわけで、町長は広報に得々と上記の文は書けまい。
 仮設住宅で避難生活を送る人達の中には殺人事件のニュースを見、
「ほだ人いんでは、おら、おっかなくて帰らんにぞい」と口にする人はあろう。
 なら、その時誰か、
「んなごど言ったって、世の中いろんな人いてあたりめなんだからしょうがねべ。あんた、車通る道平気で歩いでっぺ、どんな人間運転してっかわがったもんでねんだぞ。昔の天皇だの将軍お姫様なんか御簾内(みすうち)ってよ前に簾下げて下々に顔見せねがったんだ。今の車は同じでよ、バカもシャクシもやんごとなきお方で顔見えねべ、俺みてえのが運転しててみろ、アクセルとブレーキ間違えてあんたごと轢き殺すかもしんに。これはわがっぺ、んだがらあんたがおっかねっつのはよそ者がおっかねつう臆病、被害妄想だわい。そりゃ何千からの人間が全国から来て中にはおかしのもいっぺ。ほんじもこのクソ暑いのにヘルメット被って長袖長靴ゴム手で仕事してんだぞ。それも何重にもピンハネさっちゃ給料でよ、気の毒なぐらいだ。ああ、ほだ、大阪で人殺したのは若いのに興味あんだ。んだがらあの男がよしんば隣さ座っても、おめみてえな婆っぱは何の心配もねんだ」
 そう語る隣人は居なかったのか。……居なかったのだろう。
 では町議が全員協議会を開き申し入れを発議した際、誰か、
「過剰反応だべ。法令順守はあたりめの話、それをわざわざ言うんでは、ほんじゃ川俣の人間は一人残らず品行方正清廉潔白だっつのか。昔、放火した消防士いたな、今でも補助金ごまかした商工会の人間いっぺ、あ、これは裁判中か。不安だと言う住民がいておれらにできることあんなら、そりゃやんねっかなんねげんちも、除染作業止めろだの長期宿泊延期しろだの、同じ口で早く除染しろって言ってんだべ、本末転倒よ。ほだごど言ったら『ああ、やっぱりあいつら、いつまでも遊んでいてだけだ』って絶対言われっつぉ。いや、誰も面と向かっては言わねわい、避難してる人には『気の毒だない、大変だない』つうべ。新聞だのテレビだの、ニュースもそうよ。内心は違うんだで。震災あった年の夏にな、おれがスーパーで酒とつまみ買ってだら、そん時は仮設の人達がマイクロバスで来て帰ったばっかりで、おばちゃん二人がよ『あの人達はいいべした、仕事稼ぎなんかできね年寄りだって毎月きちんきちんと銀行に十万ずつ入んだがんない』ってしゃべってんだ。もう四年半になって相変わらず、俺は正しい、こっちは何にも悪くねって反っくり返って、何々を要望するだの言っても、とどのつまり町でも県でも、銭くれ、もっと恵んでくれってばっかりだべ。いや、名目と理屈はなんぼでもあるわい。ほんでも心の向きが違うんだでば。被害者ヅラばっかりしててもだめなんだで。おめえは被災者の心に寄り添う格好してるつもりか知んにげんちょ、かえって為になんね場合もあんだ」
 そんなふうに制する議員は居なかったのか。……居なかった。全会一致の採択と新聞記事にある。
 この町の選良達はかくも低劣だ。それは町民の低劣と同義になる。

 八つ当たりに新庁舎のことを言う。
 震災で強度に不安の出た旧役場は解体し、現在新築中。基礎工事の始まった数ヶ月前、町長は広報誌に「復興のシンボルとなるような」と書いている。役所がシンボルであってたまるか。工費21億、うち13億は上からの復興交付金、8億は町債という。ではその8億の町債について町長はもとより議員に誰一人慙愧や忸怩の言をなす者は居ない。
 1980年の頃からだろうか、地方へ行くほどその地域一番の建物は役所、一番大きな看板はサラ金という風景になった。バブル崩壊サラ金の看板は消えたけれど立派な役所の形は続いている。来年この町もその仲間入りをする。免震構造の立派な建物だとて役所役人焼太りの類に属する。民主主義社会において役人は公僕と称される。市民の主に対する僕である。制度の主従上下が役人達の意識においては逆転している。このことは地方へ行くほど地域一番の事業主が役所になることの表れでもある。「役所なんかバラックでいいんだ」とは漫画『ナニワ金融道』のセリフ。同感だ。
 2000年代、国が旗を振ってIT化が行われた折、公民館などこの町の施設に様々な機器が置かれた。中には不要な物や不適切な使われ方をする物も数多くあった。それを見ればシステム設計などにおいてもIT企業に好きなだけ食い物にされたことは想像できる。しかしこの町の議員に予算執行の無駄遣いを指摘する声を未だかって聞いたことがない。その頭はあるまい。今、町議会の選挙中、16の定数が12になる。私は総入れ替えを望むけれどそれだけの新人は立たず、立ってもバカな連呼をするだけの人間、結局16のカボチャが12のカボチャになるだけで終る。それがこの町の水準だ。勿論この言い方は単なる悪口にすぎない。
「バカな奴からバカ呼ばわりされるのが一番腹立つんだよな」とお言いなら尤も。あるいは、「匿名で悪口を言うのは卑怯だ」とお言いであればそれも当然、こちらとて潔しとはしない。このブログを実名にして私はいっこうに構わないけれど、知人のブログを開いた際に足跡を残し、それが知人への迷惑になるのを回避している。ただし、探偵でなくとも容易に辿れる他サイトブログの1頁に住所氏名を記し、facebookに馬鹿ヅラも晒している(友人を求める意志はない)。ゆえに完全な匿名ではないことを完全な卑怯から免れる自己弁護で言う。
 そして誰かをバカ呼ばわりするからには私自身千万人からのバカ呼ばわりを受ける気組は持って述べている。
 さらに付け加えると、私は試験の点数を以て人をバカ呼ばわりしたことは生涯一度もない。同じ意味で、職業名や学校名を以てその人間を優秀だの頭がいいだのと認識することもない(原発事故当時、保安院のトップだった斑目某は東大大学院の教授もしていたというが、事故に際し何か一つでも聡明と評しうる判断と言動をなしたか)。
 せめて一人ぐらい国の会計監査院がやっているような作業をこの町で行う議員がほしいものだ。
「そんなことを言うならお前が自分でやれ」と言われそうだがそれは無理。私は酒を飲まなければ人と話するさえ面倒な偏屈者であり、脳ミソの無さなら今の議員たちにいささかも引けをとらない。まして議論ともなればいかなる相手にも負ける絶対の自信を持つ。
 いや、余計な話。この町の議会について実現しそうにない与太な変更案を持つもののそれはいずれ気の向いた酔日に述べる。

 悪口すると決め、もうひとつ八つ当たりを言う。
 交付金を乗せてプレミアム商品券を発行した自治体の首長、議員、役人を無能と見る。経済の活性化、消費マインドの刺激、地元商店街の要望など理由付けしてつまりは「隣でやってっからおらほうでもやっぺ」ほどの判断、この町然り。その商品券は持続につながるエンジンを内包しない。いっときのかりそめ、蛸が壺の中で自分の足を食べるようなものだ。『貞観政要』には「腿を割いて腹に充たす」の言葉もある。地方創生の名目で商品券のため国が配った1千億円はムダ金、国債発行額を減らすがいい。
 それにしてもプレミアム商品券を発行した自治体は98%という、この国の地方の劣化はどうだ。
 昨年9月頃、知事選前の時期だった。私が当時の知事の悪口をいい、さらに立候補予定者の顔ぶれから「福島県には人無きや」と述べたら福島市に住む知人が笑いながら答えた。
「バカばっかりだよ。しようがないじゃない、優秀なのはみんな出てくんだから。高校の校長だって卒業式に言うんだ、出っていきなさーい、羽っばたきなさーい。ま、何度かよそで暮らすのはいいけど、戻って来ないからな。それで残ったバカ男とバカ女がくっついて生まれるガキはやっぱりバカよ。たまに鳶が鷹を産むけどその鷹も出て行く。しょうがないの、あははは」
 廃藩置県中央集権の明治期に末は博士か大臣かの立身出世思考が行われ百五十年、地方の人材が払底して不思議はない。
「いいや、おらほうにはこういう立派な人物も居んだぞ」と郷土自慢なさる方はおいでであろう。その立派な方には叙勲申請が簡便な自慢への道と伝えたい。私個人は勲章を受けて得意気な人間と付き合う気はないけれど。
 震災の翌年だったか、とある里山を下りて人家近く、切通しの細い坂道、軽トラを止め、側溝に溜った落葉を農耕用フォークで浚っている男性が居た。車の脇を通る折、(通れるかな)(通れます)そんな目顔の交換があり、「町の除染の仕事ですか」と私が声をかけた。「いやあ、自分でやってんの。この辺と人はたいてい自分でやんの」
 黙々たる人を敬慕する。震災後の大臣視察ニュース映像では大臣の後ろに画面の枠内に入るよう地元議員や長が並び、その背後、遠景に黙々と瓦礫を拾う住民の姿があった。
   被災地を視察の大臣作業服汚れているを見たことはなし  凡脳
 作業服ではなく防災服と呼ぶらしい。目の前にゴミや瓦礫があったところで一指だに触れる意志なき者がさも汚れ仕事をするかの姿でいる、その心根や卑し。この町の役場職員も地震後数週間は全員防災服姿で仕事をしていた。見せ掛けでしかない。口先世渡りの政治家と役人を嫌悪する。
 被災地の多くの自治体が職員不足とて他所から応援を受けている(その人達の給与は国から出る)。新聞にも度々職員の過労記事が出た。しかし未だ職員の能力を云々する記事を見ない。誰も言わないなら私が言う。
 この町では役場建物が使えないため中央公民館を役場にしている。私はいつも朝日と読売二紙に目を通すため一時間ほど公民館にいる。これまで常駐の職員の中にも劣悪な人間は見た、そこへ役場本体の人間が移動してきたら言葉と行動の断片を見聞するに過ぎないけれど、その断片だけでもあきらかに無能とわかる職員がゴロゴロいる、しかも得意気な顔をして。いや、得意であって不思議は無い。民間企業なら使い物にならない人間が役場にいるというだけで一流企業並みの給与を得る。さらに民間企業の平均寿命は20年だけれど役場にいればリストラや倒産の心配がない。
 私は役所の仕事をしたことはないが、神奈川県に住んでいた二十代の頃、国鉄の車両工場でバイトをした。それまで幾つかの工場で仕事をし、中には10秒の遅れを取り戻すのに20分を要するほどの自動車工場ライン作業も経験している。その目で見れば国鉄工場は作業システムそのものが散漫だった。拘束8時間ながら実働6時間にも満たない。休憩所での待機時間は長く話術が発達し、4時40分には風呂、5時にタイムカードを打つ。民営化の折に組合は、仕事時間内の風呂は労使協約による既得権だと主張し世間の失笑を買った。それは蒸気機関車時代、釜焚き仕事の人に与えた特権の拡張と推測する。
 東京都の西外れに住んでいた三十四十代の頃、電車の乗り換えは立川になる。立川駅は高架、ある日、ダイヤの乱れによるか客がフロアに溢れた。人が立って改札していた時代のこと、この駅は入口が2人立って4門、出口は3人立って6門ある。しかしこの時、出口に立っていたのは2人、にもかかわらずフロアに長机を出し、助役帽子の駅員が2人、「えー、只今、記念乗車券を、発売して、おります」とハンドスピーカーで呼びかけている。乗降客は階段にまで詰まっている。「ひとり改札に立てっ!」客が怒声を発したのも当然だ(私ではない)。
 立川市の中央郵便局に何度か行った。いつも決まって郵便窓口に10人から20人の行列、他の貯金や保険の窓口に客は無く局員がつくねんと座っている風景だった。他都市の中央郵便局とて同様。専門知識が無いから助っ人に入れないとの理屈はわかる。工場でも知らない機械には触ってならないのが鉄則だ。しかし郵便局の場合、窓口業務は5、6種にすぎない。日常研修の中で知識を習得させ、全員がどの窓口もできるようしておけばよい。窓口仕事のチーム概念のシステムにする。そうすれば一つの窓口にだけ行列が出来、他の窓口局員が油を売ってるような状態にはならない。民間企業であればすぐにもしている。先の国鉄改札とは利用者の身になって考える頭が無いというところで共通する。
 同様の話、公民館に仮住まいしているこの町の役場は課ごと幾つかの部屋に分散する。公民館のドアを入ったフロア、ほんの3メートル先の壁際に一人用カウンター内に臨時職員とおぼしき案内係の女性が座っている。入口からは横向きになる、それは構わない。入口からの正面に『窓口案内』と印刷した紙を掲示する。ところが案内者のドア側は短冊形の板や盛り花など置き故意に顔を隠している。世の人すべて字を読めるわけではない。また私のように1メートル離れればボヤけカスみニジんで見える者もいる。初めて公民館を訪れた年寄りが入口で(はあて、どこさ行ったらいんだべ)と迷って探すのは文字表示ではなく人の存在になる。ゆえに案内係は入口から顔がはっきり見えるようするがいい。
「あたしブサイクだから恥ずかしい」とお言いかしれないが感情の事柄ではない。
 以上は役所仕事の例で思い出したこと。図らずもささいな事柄に目くじら立てる私の心のちっぽけさを露呈した。
 きょうの一文は現代日本の地方劣化の原因について、役人より起こり衆庶に瀰漫し議員に竭く、そんな循環図式が脳裏をよぎり書き始めた。しかし私は役人的なるものを適切に言語化できないでいる。東条英機アイヒマンは役人的だが石原莞爾は少し違う、福沢諭吉中江兆民なら大きく違う、宮武外骨ならさらに遠かろうなどと述べたところで人選が恣意的ゆえ何の意味もない。思考と行動に役人特有の癖はある。税金から安定した給与を受ける身なら合理化や適正化あるいは価値の創造などへ心を向ける必要は無い。そうして形成された気質の役人が政治家になっている比率は年々高くなっており、この町の町長は元役場職員であり、県知事は元総務省役人だ。自ら価値を創造する気概なく予算獲得が手柄の頭脳、民間人がそれに倣い補助金交付金をあてに事業を行う。これを劣化と呼ぶ。
 明日投票日、連日にわたる県議町議選の愚かな連呼に怒り発しこの文になった。連呼の不快さは騒音だけでなくそんな表現しかできない人達の文化水準の不快さでもある。
 私の文章など三行読めば愚物と知れるわけで、まさかここまでお読みになった方は皆無だろう。人に語る形式の文であっても実は独白にすぎない。物言わぬは腹ふくるるわざ、それを吐き出した。だから汚い言葉になった。
 おまけとしてきょうの主題に何ら関係のない、二十年前に書いた詩形式の一文を置く。ポエジーはない、化けるかもしれない漢字あり、ルビは省略。

  夕日に就いて
 唐の李商隠は晩に向んとして意適わずと詩に言う古原に夕陽を眺め盛都の黄昏を重ねたり日の沈むや人の焦慮を駆る其れ奈何
 楚の魯陽公韓との戦い酣にして日暮る戈を援き之を撝けば之がため日反りたると淮南子は記す地軸の揺れたるか同書天文訓に昔共工と顓頊が帝たらんを争い天柱折れ地維絶え天は西北に傾き故に日月星辰移れるを記す
 日招きの伝説は日本に入りて義家清盛らを飾り田植長者の説話を生む平安朝着鈦の政に延尉佐は入日を拒ぐ呪いに檜扇翳し進むなり
 西方浄土阿弥陀仏は夕日の意なるか来迎恃む人々海上夕陽を見つ入水し維盛然り古代日本は日の昇る東への信仰ありしが末法思想の十世紀恃むべき信を西へと変ず
 1883年クラカトア噴火し大音響とともに粉塵は成層圏に達す地球を回り為に一両年日光量を減じ気温低下し粉塵の反射は日の出入りを壮大ならしめアメリカに於て山火事と紛うジェット気流の存在証明さる
 大正10年ぎんぎんぎらぎら夕日が沈むの歌あり昭和10年前後大陸へ戦線を拡大しゆく日本兵は沙漠の夕日に荒野を驚き緑なす故国を懐かしむか異国夕日の唄あまた流行せる
 16世紀コルテス軍は湖上の都白亜ピラミッド最上階に入りて血臭に驚く
 已に世は三度滅び次の滅びを目睫にアステカの王モンテスマは赫奕たる夕日へ焦慮急なり太陽は明日復た昇るや遂の長闇に入るは今日か明日か獣園の吼猿長く声曳き日は揺れ膨らみつ山巓に懸る血もて陽を励ますの責務有れば命じて虜の心臓を抉り捧ぐ朝とても白みたる空へ先ず鷓鴣の血を捧げ日の昇るを助勢す白き神コルテスは犠牲の残虐を停めピラミッド上にマリア像及び大十字架建立を進言す
 なれどコルテスよアステカの残虐を云う勿れ黄金求め馬を駆り犬を逐い鉄槍にてスペイン軍の殺戮縦横其の死者生贄の数より多し続いたピサロ南進して同然加之ヨオロッパ人の麻疹感冒天然痘に新大陸16世紀インディオは人口の8割を失うキリスト教の聖誕祭は冬至の祭り夜の不安冬の飢渇を新生の希望に仮託せる
 1914年ハンディがセントルイスブルースを出版す I hate to see de evenin'sun go down(沈む夕日を見るのは厭だ)第一次世界大戦開始アメリカ369歩兵楽団がヨオロッパに伝え大戦の死者九百万を越ゆ
 曲は地球を回り世界中が夕日を嫌い第二次世界大戦の死者三千万と言い六千万とも言う統計不能の厖大さに拘らず二世代後は大戦時に倍する人口世に有り学者はDDTと抗生物質の発見を因と述ぶ
 1940年より人に地に大量散布されしDDT残留毒性明らかなれば1971年使用禁止さるも未だ有機塩素化学物質の発明製造次に発病あって製造禁止その繰り返し止まずまた地上に熄まざるは飢えと戦争そも地球を破壊さす量の兵器ありながら地域限定武器限定の戦いを繰り返す意は何ぞ
 夜の眠りは無防備ならむ明日復た日は昇るや私の上に日は昇るや
 二十世紀科学は太陽寿命を示し得て古代神話の多くを無効とせしも宇宙へ居住空間を求む心に夕日を焦る同じ意思ありや
 日の夕べに羊と牛は下り来る君役に于く之を如何にして思うこと弗からん苟も飢渇すること無かれとは詩経の歌なり