路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

川俣町議会が復興庁水野某を呼びつけることについて

 中傷ツイートとニュースになりテレビと新聞で見た。
「左翼のクソどもからひたすら罵声を浴びせられる集会に出席」
「感じるのは相手の知性の欠除に対する哀れみのみ」ets.
 「欠除」は物を取り去る、(腫瘍を欠除する)など能動態に用いる語でこの文の場合は「欠如」、変換ミスになる。新聞は各紙ともこの誤字をそのまま表記しさりげなく笑い者にする。
 それは構わない。この役人、自身を頭の良い側に属する人間と認識している。総務省から千葉県何市かの副市長をやり復興庁の幹部職となったそうな。

 昨年11月15日のツイート。
「今日は、田舎の町議会をじっくり見て、余りのアレ具合に吹き出しそうになりつつも我慢w」
 その田舎町とは私の住む川俣町のこと。そこで町議会は怒り心頭か本人から事情を聞くため根本復興相に水野の派遣を要請することを議決した。
 昨日は復興副大臣が県庁とこの町を訪れ謝罪、町側は20日の議会に大臣と水野某が出席して説明するよう求める要望書を渡す。

 さて議会は水野某に何を聞こうというのか。「余りのアレ具合」の「アレ」とはどういう意味だ、とでも聞くか。それは文脈からアホバカの類とわかりきっている。水野は答えもならず済みません申し訳ありませんと詫びるしかない。議員達はそっくり返って得意ヅラをするだろう。ついでに大臣へ復興予算の町への配分を数億円上積みさせたら手柄ものだ。因縁をつけて金をムシるヤクザ手法は昔から自民党配下の議員が常用した手段でもある。

 水野某がこちらへ来るかどうかわからないが、一つ提案がある。
 町議会は昨年11月15日の議事録を送り、どの部分を「アレ」と感じたか述べさせてはどうか。この議員のこの発言は勿体ぶっているだけで空疎であるとか、この町長の発言は的外れとか、事細かに「アレ」を指摘してもらえばいい。つまり井の中の蛙に対する外部の目である。勿論、この町の議員連中や役人に通じるはずはない。自分は正しいと思っている人間に語りうる言葉はないのだから。ただ、意見が議事録に残り、次の、そのまた次の世代あたりに役立てば、ただ詫びてもらうよりはるかに有用だ。


 以下は偏屈な個人的感情のみ。
 私は議会を傍聴したことはない。さして有能とも思えないのに得意げな人間の顔を見るのは嫌だし、ここの議員連はなぜか一様に下卑た笑い声を発する。
 この町に住む良い男を数人知っている。また幾人かのオネエチャン、オバチャン、バアサンのファンでもある(小心者ゆえ告白はしていない)。それでも大まかなところでこの町やこの県の人間を嫌う。偉そうにする人間や見栄を張る人間はどこにでもいようけれど、この町この福島県においてはもはや県民性と言ってよいほどその数は多い。ホトホトうんざりしている。
 基底に私の人間嫌いがあり、山歩きはその発露でもある。だから私などどこに住もうとこの町は嫌だと言うだろう。
 住むなら酒と食い物がうまく、おなごがきれいで、気候の穏やかな所がいい。そんな若き日の純真な願いはついに一度も果せずこの年になってしまった。 


 (6月22日 追記)
 水野某は停職30日、大臣は給与一か月分自主返納など処分を決めて、昨日、復興庁副大臣がこの町と県庁を訪れ謝罪した。町議会は、現行3ヶ月になっている国からの職員派遣期間を一年以上にしてくれと要望書にして渡したとのこと。議会に自らを省みて恥じる姿はない。