路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

横断歩道

イメージ 1 何を隠そう私は石部金吉と揶揄されるほど物堅い男である。曲がったことは大嫌い、世の中すべて杓子定規にぴったり納まっていなければ気が済まない性分だ。
 したがってこの横断歩道を渡れない。
 一般に横断歩道といえば歩道から歩道へゼブラゾーンが設定される。然るにこれを見よ。手前は歩道であるが向こうはガードレールと川になる。川幅およそ7m、走り幅跳び8.95mのパウエル以下世界記録に拮抗する人々なら越えるだろうが私の記録は2mに届かない。車道を横切りさらに橋を渡って行きたい私、ゼブラゾーンからひょいとばかり橋の上に移ろうとてもガードレールの端か欄干の角に思い切り股間を打ちそうだ。運動能力は八艘跳びの義経に程遠くまた短足である。
「ほだの構わねで好きなとこ歩いたらいいべ」とお言いいか。
 では、ゼブラゾーン以外のところで車にはねられたらどうする。
 運転手は言うだろう。
「こいつが悪いんだ。横断歩道でもねえとこヒョコヒョコ歩いてよ。まさかと思ってこっちも間に合わねで。居眠りこいてたわけでねえぞ。ブレーキ踏んでんだかんな。酒なんか飲んでねって。ハァーッ。な。ごめん、今、焼肉食ってきた、歯槽膿漏もあんだ」
 警官も言うだろう。
「おれらはよ、小学校でも幼稚園でも出掛けてって、子供らに口酸っぱくして教えてんだ。『手を上げて横断歩道を渡りましょう。人を見たら泥棒と思いましょう』。それをこういう大人がいるからおれらの苦労がパーよ。こいつが悪い。ん? 視野を塞ぐように『交通安全』の旗が立ってるってか。それは安全協会だ、おれらじゃねえ」
 裁判官も言うだろう。
ゼブラゾーンの設定に問題点を認識することは少しく可能であるが交通法に照らし著しく不合理とまで断ずるのは困難であり、かつ、被害者がその範囲を逸脱して歩行したについて緊急を要する事由を見出すことはさらに困難と指摘せざるを得ない。充分に信頼の置ける遺族の証言で『煙草を買いに出かけた』とある通り、数多くの統計が示す喫煙ごとき甚だしく反社会的行為目的の為の歩行であるとすれば、当該事故に於いて運転手の不注意を第一に指摘するをやむをえないとしてもなを、被害者側にも責任の一端が無いとは言えないと判断せざるを得ないと思料するのが妥当と判断せざるを得ない」
 その結果、800億円の生命保険が減額されたら私は死んでまでバカにされるではないか。ああ、恐ろしい。