路傍の草、野辺の花

凡脳ブログ(佐藤幹夫)

斉藤明美氏を応援する

 面識はない。NHKテレビ夜7時のニュース、新聞は『福島民友』『朝日』『読売』の記事だけの印象で述べる。週刊誌やネット記事は読んでいない。

 つましく誠実な生活を送ってきたのだろうと想像した。
 平田某が逃走資金として受け取った1千万、17年経て8百万を弁護士に委託した。保釈金に宛てる意図はあろう。
 表立った労働と金儲けの道を閉ざされた歳月にこの金額は褒むべきだ。
 自棄にならず自制心あってさらに同居者が得心しているところから彼女の精神性が感化を及ぼしたと推測する。
 現在の政治家と役人はすべて等しく彼女の前にひれ伏し爪の垢を懇請するがいい。
 週刊誌の広告は「愛欲生活」なるゲス語を見出しに用いる。男女のことは暴力や金銭による強制以外、他者が容喙すべきものではない。

「偽名を使った、つまり嘘をついて何が誠実だ」と言う方はおいでだろう。しかしその嘘で誰かに実害を与えたか。オレオレ詐欺のような人を騙して舌を出す嘘ではない。指名手配容疑者の逃亡を助けたことといくつかの私文書偽造は法に触れる。それでも私が検事なら不起訴だ。

 今は連日、ネチネチと警官にいびられているだろう。接見できる弁護士は伝えたろうか、警察官に藤田まことや織田某などおらず、警察は銭形平次大岡越前のように弱い者や正義の味方ではないことを。
 警官は日常的に犯罪者と接することで同じ心根となる。例えて言うなら、もしあなたが道を歩いている時に近くで老婆が転んだとする。あなたは駆け寄って抱え起す。その動作を警官は、あなたが老婆のポケットから金品を抜き取る行動と解釈する。まして言語においてや。
 私達の日常会話は大雑把ながら信を基礎に行なわれる。警官はそこにすべてゲスの勘繰りを挟む。誠実な人間ほど語るのがつらくなる。警官話法に調子が合うのは常習犯罪者だけだ。
 接見できる弁護士はまた伝えただろうか、言いたくなければ話さずとも良いことを。いや、そんなことは誰でも知っている。「話したくない」と口にした後に付き合わなければならない警官の執拗な脅しやすかし、愚弄と侮辱になを平静を保つ心構えを。
 取調べには録画録音を要求するのがいい。警察は応じないだろうが。
 弁護士は伝えてもらいたい。「これを認めたら平田の刑が軽くなるぞ」との誘導には決して乗らないようにと。

 彼女は福島県出身者である。私は現在福島県に住んでいながらこの地の県民性を嫌っており、誰それ有名人が県出身者であるのを誇りとする論法には無縁でいた。しかし今回だけは彼女と同県人であるのを誇りとしたい。私との共通項はそれしかない。
 ご両親は長く近所つき合いがないという。17年前のオウム騒動以来、娘が関係者であるのを慙愧の思いでいただろう。しかしご両親に伝えたい。「三つ子の魂百まで」の語には真理が含まれており、彼女の日々を律する誠実さはあなた方の心を写したものであると。娘を誇ってもらいたい。少なくとも世に一人だけはそう考える者がここにいる。